野趣ある侘びた風情が漂う絵唐津の優品です。柔らかな釉調にはっきりと浮かんだ鉄絵が朗らかで魅力的な景色となっており、口縁の皮鯨が器形をより特徴付けています。内部には釉薬が全て施されておらず、火入として大切に伝世されてきた様子が時代箱からも伺えます。
- 商品コード
- 220805-3
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- 時代
- 桃山~江戸初期
16世紀末期~17世紀初期
- 重量
- 415g
- 胴径
- 9.2cm
- 口径
- 7.7cm
- 高さ
- 11.8cm
- 底径
- 5.7cm
- 次第
- 時代箱
- 状態
- 口縁に銀直しがあります
口縁に入があります
見事な土味に柔らかな釉調と伝世の良好な状態を保っています。
古唐津
唐津焼とは肥前国唐津藩を中心とした肥前地方で焼成された陶器です。
名称は唐津港から積み出しされた事に由来しています。
「一楽、二萩、三唐津」と謳われるように茶陶の分野においても高い評価を受けています。
この地は嘗て松浦党領袖であった波多三河守親の支配下にありましたが、
文禄の役における失態を理由として、
1593(文禄2)年に豊臣秀吉から波多氏が改易されると、
尾張国出身の寺沢志摩守広高の領地となって肥前国唐津藩が成立しました。
唐津古窯跡の中でも最も早い創業とされるのが岸岳山麓に点在する諸窯で、
これは朝鮮から移住してきた渡来陶工達によって焼成されたと考えられています。
岸岳は海抜約320mの山麓で波多氏が山城を築いて居城した地でありましたが、
波多氏改易に伴って岸岳陶工達は肥前各地に離散しました(岸岳崩れ)。
波多氏の改易と岸岳諸窯の廃業は、
1593(文禄2)年以前から古唐津が焼成されていた根拠の一つとされています。
唐津焼の創始については発掘調査や研究から天正年間(1573~92)頃と考えられています。
創生期は天正年間頃だとしても唐津焼は文禄・慶長の役に始まったといっても過言でなく、
桃山~江戸初期にかけて優れた作品を多く焼成した隆盛期を迎える事になります。
この桃山~江戸初期までの作品は「古唐津」と呼ばれています。
唐津焼はその殆どが一般庶民の日用品として量産された物ですが、
点茶が流行した桃山~江戸初期頃には茶人間の眼に留まって茶陶に見立てられました。
この雑器的な素朴さも唐津焼の大きな魅力の一つです。
中には茶人や茶道具商による注文品もあり、
全体的な総数からすると極めて少ない事から特に高い評価を受けています。
17世紀に入ると唐津焼にとって大きな事件が生じる事になります。
渡来陶工・李参平(和名:金ヶ江三兵衛)による泉山陶石の発見と磁器焼成の成功です。
伊万里焼の生産拡大は唐津焼衰退に大きな影響を与えました。
江戸前期には二彩唐津等に特色が見られるもの古唐津程の魅力は失われ、
以後は僅かに御用窯(御茶碗窯)が残るだけとなりました。
皮鯨
皮鯨とは口縁に鉄釉を施して焼成した唐津焼の特徴的な装飾技法です。
一条にくっきりと浮かんだ鉄釉の様子が鯨の皮身の対比を思わせる事に由来し、
瀬戸唐津茶碗が皮鯨手の作品として著名です。