古美術 天平堂

濁手芒文花瓶(13代 酒井田柿右衛門)

御売却済

美しい濁手に金彩と赤色が綾なす芒が秋の到来を感じさせます。蜻蛉は前にしか進まず、退かない事から 「勝ち虫」 と呼ばれ、武士に縁起物として好まれました。凛とした優美な佇まいは空間を昇華させる魅力が宿っています。

商品コード
220711-20

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作者
13代 酒井田柿右衛門
1906(明治39)年~1982(昭和57)年
重要無形文化財総合指定
重量
2,410g
胴径
23.4cm
口径
15.4cm
高さ
20.9cm
底径
12.2cm
次第
共箱
状態
完品(無傷)

素晴らしい状態を保っています。


13代 酒井田柿右衛門 1906(明治39)年~1982(昭和57)年

13代酒井田柿右衛門は12代酒井田柿右衛門の長男として佐賀県に生まれました。
本名を渋雄といいます。
1924(大正13)年、有田工業学校製陶科を卒業しました。
1953(昭和28)年、父と濁手素地の復興に成功しました。
1955(昭和30)年に「柿右衛門」の製陶技術が文化財保護委員会より、
記録作成等の措置を構ずべき無形文化財として選択を受けました。
1963(昭和38)年、13代酒井田柿右衛門を襲名しました。
一水会審査員に就任しました。
1964(昭和39)年、日本工芸会正会員となりました。
1966(昭和41)年、佐賀県文化功労者に選択されました。
「柿右衛門」の陶芸技法が佐賀県重要無形文化財に指定されました。
「濁手草花文蓋物」が宮内庁に買い上げられました。
1967(昭和42)年、佐賀県重要無形文化財に認定されました。
1969(昭和44)年、皇居新宮殿に「濁手瓢形壷一対」を制作しました。
1970(昭和45)年、佐賀県陶芸協会会長に就任しました。
「濁手菊鳥文壷」が外務省に買い上げられ、サンパウロ日本館に展示されました。
1971(昭和46)年、13代を会長に上級技術者11人で「柿右衛門製陶技術保存会」を設立しました。
これは素地の調製から作品完成に至るまでの工程を江戸時代以来の分業による集団体制で、
伝統の濁手によって柿右衛門様式を制作する技術保持を目的とした団体です。
技術保存会による「濁手」の技法が重要無形文化財として総合指定を受けました。
「濁手露草文鉢」等が宮内庁に買い上げられました。
東宮御所の御用食器を納入しました。
「濁手花鳥文陶額」がオランダ日本大使館展示品として外務省に買い上げられました。
1972(昭和47)年、紫綬褒章を受章しました。
1974(昭和49)年、迎賓館に「濁手梅花文壷」を制作しました。
1975(昭和50)年、西日本文化賞を受賞しました。
「濁手草花文鉢」と「濁手椿文壷」が文化庁に買い上げられました。
1976(昭和51)年、柿右衛門製陶技術保存会が技術保持団体として認定されました。
1978(昭和53)年、勲四等旭日小綬章を受章しました。
1982(昭和57)年、有田名誉町民の称号を受けました。
個人作家として新しい柿右衛門の確立を目指した13代は、
伝統を墨守し続ける頑固な父の方針に不満を持ち、
お互いの方向性の違いから親子喧嘩が絶えなかった事でも有名です。
この父より受け継がれた職人気質を基礎に現代様式の柿右衛門を創造すべく、
日本画家、彫刻家、芝居役者、政治家、実業家等のあらゆる分野の人々と交流を深め、
近代的な独自の新意匠を取り入れた新境地を築き上げました。
頻繁に全国各地の野山へ出掛けては膨大な量のスケッチを取った事でも知られており、
こうして図案化されたものが濁手素地の上に彩られました。
芸術作家としての柿右衛門の評価は13代の出現で不動のものとなりました。


近代柿右衛門が到達した技術力の結晶「濁手」

最盛期の柿右衛門様式を代表する濁手は欧州への輸出向けに開発された技法で、
伊万里の歴史の中でも究極の至芸といえ、
柿右衛門様式における最高品質の白磁素地として確立されました。
18世紀以降は磁器輸出の激減に加えて濁手も途絶えてしまいますが、
1953(昭和28)年に12代酒井田柿右衛門と13代酒井田柿右衛門が濁手素地の復興に成功し、
12代の晩年を飾るに相応しい究極の到達点・偉業となりました。


「自作物(濁手)」と「窯物(錦手)」

13代酒井田柿右衛門は1963(昭和38)年に名跡を襲名した後も、
前半にあたる約10年間は12代酒井田柿右衛門に引き続いて錦手制作に力を入れていました。
後半にあたる昭和40年代後半から濁手が全国百貨店で好調に販促されるようになると、
濁手は「自作物」とし、
それ以外の作品を「窯物(量産用の高級調度品)」と明確に区別するようになります。
自作物(濁手)は「無銘」、窯物(錦)には「染付銘」が入ります。
「濁手」は美術品としての最高品質を保持する為、
上級技術者の精鋭による「柿右衛門製陶技術保存会」が担当し、
過去の模倣に留まらない孤高の表現技法として当代にまで継承されています。