古美術 天平堂

古伊万里染付鳳凰文皿(江戸中期)

御売却済

鳳凰文を題材とした古伊万里です。見込み周囲のグラデーションがとても美しく、時代を経た手造りの温かさが器から感じ取れます。

商品コード
220603-4

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時代
江戸中期
17世紀後半~18世紀前半
重量
345g
口径
21.0cm
高さ
2.8cm
底径
13.4cm
次第
桐箱
状態
完品(無傷)

一切痛みがない最高の状態を保っています。

年表(肥前磁器)


古伊万里

https://tenpyodo.com/dictionary/early-imari/

古伊万里とは江戸中期に肥前有田で焼成された磁器です。
型物に代表される国内向けの作品も知られていますが、
異国趣味を掻き立てる様々な品種の輸出作品を主体としていました。
景徳鎮磁器に代わる最良の品として有田磁器が世界市場を確保すると、
品質の高い作品を量産できるよう、熟練した職人による分業体制が確立されました。
染付に色絵と金彩を多用して絢爛の限りを尽くした「金襴手」は古伊万里の主体を成し、
元禄年間(1688~1704)の繁栄を示すが如く、優麗華美な世界を展開しました。
元来は明時代の嘉靖年間(1522~66)に景徳鎮民窯で完成された装飾技法であり、
金箔を焼き付けた富貴な趣味に満ちています。
王侯貴族間では宮殿室内を磁器で装飾する「磁器の間:The Porcelain Room」が、
富や権力の象徴として流行しました。
欧州に齎された磁器は棚や壁に飾る美術品であると共に接客用の室内調度品でもある為、
経年劣化によって色絵や金彩が擦れた作品も多く見られます。
「オールド・イマリ」、「オールド・ジャパン」、「イマリヤキ」という呼称は、
現在も国内外の愛陶家や蒐集家に交わされる肥前磁器の愛称です。


オランダ東インド会社(Verenigde Oostindische Compagnie)との輸出産業時代

東インド会社とは17世紀に欧州諸国が東洋貿易の為に設立した特許会社で、
イギリスは1600年、オランダは1602年、フランスは1604年に設立されました。
「V.O.C(Verenigde Oostindische Compagnie)」の頭文字を合わせたモノグラムは社章であり、
会社所属を示す為に倉庫、貨幣、大砲、旗、陶磁器等に入れられました。
同社は本来の目的である香辛料の他に、
欧州で生産する事ができなかった磁器に価値を見出して中国貿易を行いました。
中国から輸入される硬質磁器は「白い金(White Gold)」と呼ばれ、
金に匹敵する価値のある貴重品として取引されました。
贅沢品で所有者のシンボルともいえる膨大な量の磁器が欧州へ齎されると、
その美しさは欧州人に深い感銘を与えて磁器焼造を促す要因となります。
しかし、1640年代の明・清王朝交代に伴う内乱や海外貿易の制限政策を起因とし、
景徳鎮窯を始めとした磁器窯が乱調になって買い付けが殆ど不可能になった結果、
安定期に入っていた日本磁器に代替的な供給が求められました。
1653(承応2)年に日本はV.O.C(オランダ東インド会社)と伊万里焼の輸出契約を結び、
1659(万治2)年に約56,700個という大量注文を受け、
日本にも華やかな輸出産業時代が訪れる事になります。
近世の胎動がようやく治まって新しい幕藩体制が整い始める中、
伊万里焼は佐賀藩鍋島家の殖産品として国際的マーケットで脚光を浴びる事になりました。
発注の際に見本(中国磁器)を示された結果、
初期の輸出磁器には芙蓉手等を始めとする明時代末期の中国磁器を写した作品が多いです。
V.O.Cの大量注文によって肥前有田では著しい技術進歩を遂げ、
窯の規模も拡大された事で大型の沈香壷も数多く焼成できるようになりました。
輸出された磁器の形状は多種多様で、
伊万里焼が大きな繁栄を迎える事ができたのは明らかにV.O.Cによる貿易恩恵です。
1684(貞享元)年に清王朝が遷界令を解除して中国磁器の輸出が再開されると、
1712(正徳2)年頃から活況を呈し、
中国磁器は再び市場での支配的地位を回復していきます。
こうして質と量と低価格の市場競争で伊万里焼は敗れました。
V.O.Cとの貿易で輸出された磁器の総計数も圧倒的に日本より中国が上回っています。
1710(宝永7)年に欧州初となる磁器窯・マイセンが設立された事も要因の一つとして、
アジアからの磁器輸出は次第に減少の一途を辿ります。
1757(宝暦7)年には僅か300個を最後に公的な日本の磁器取引が終了し、
以後は商館私貿易に委ねられました。


オランダ東インド会社(Verenigde Oostindische Compagnie)との関連事項

  • 1602(慶長7) 年 オランダ東インド会社(V.O.C)が設立されました。
  • 1609(慶長14)年 平戸にオランダ商館が設置されました。
  • 1641(寛永18)年 長崎・出島にオランダ商館が移転されました。
  • 1644(寛永21)年 1640年頃より中国からV.O.Cへの磁器輸出が減少し、
    この年をもって終わりを告げたとされています。
  • 1650(慶安3) 年 中国に代わって初めて日本から磁器が輸出されました。
  • 1651(慶安4) 年 オランダ商人に加えて中国商人も伊万里焼の積み出しを開始し、
    伊万里焼はオランダと中国に同じくして買い付けられました。
  • 1653(承応2) 年 V.O.Cと伊万里焼の輸出契約を結び、
    貿易記録として知られている磁器輸出が開始されます。
  • 1659(万治2) 年 V.O.Cから伊万里焼の大量注文(約56,700個)を受け、
    芙蓉手等を始めとする染付磁器が本格的に輸出されました。
  • 1661(寛文1) 年 清王朝は遷界令を公布し、中国磁器の輸出が停止しました。
  • 1684(貞享1) 年 清王朝は遷界令を解除し、中国磁器の輸出が再開されました。
  • 1710(宝永7) 年 ドイツ・マイセンに磁器工場が設立されました。
  • 正徳年間(1711~16)頃に幕府は貿易制限を強化し、
    出島に来航するオランダ・中国船の数を約半分に減少させました。
    こうして磁器輸出も衰退の意図を辿っていきます。
  • 1725(享保10)年 この頃からV.O.Cによる日本との貿易が停滞しました。
  • 1757(宝暦7) 年 V.O.C記録では僅か300個を最後に公的な磁器取引が終了し、
    以後は商館私貿易に委ねられます。
  • 1799(寛政10)年 V.O.Cが解散しました。

鳳凰

鳳凰は梧桐(青桐)に宿り、竹の実を食べ、醴泉水を飲むという想像上の霊鳥です。
古来中国では麒麟、霊亀、応竜と共に「四霊(四瑞)」の一つとして尊崇されました。
聖天子出生の瑞兆として出現すると伝えられており、
体は前半身が麒麟、後半身は鹿、頸は蛇、尾は魚、背は亀、頷は燕、嘴は鶏に似て、
羽は孔雀のように五色絢爛で声は五音にかなって気高いとされます。
「鳳」は雄、「凰」は雌を指し、
中国で龍は「皇帝」、鳳凰は「皇后」の象徴としても知られています。
桐、竹、牡丹等と共に描かれる事が多いです。