古美術 天平堂

桂川花籠写(2代 池田瓢阿)

御売却済

利休所持の桂川を巧みに再現した竹花籃です。益田鈍翁から薫陶を受け、数々の名品に携わりながら身に付けた高い技術には定評があります。

⇒ 香雪美術館(外部リンク)

商品コード
220602-4

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作者
2代 池田瓢阿
1914(大正3)年~2003(平成15)年
重量
103g
胴径
18.3×17.6cm
口径
10.5×10.3cm
高さ
19.8cm
次第
竹落とし
共箱
状態
完品(無傷)

良好な状態を保っています。


2代 池田瓢阿 1914(大正3)年~2003(平成15)年

2代池田瓢阿は初代池田瓢阿の長男として生まれました。
本名を英之助といいます。
油絵画家を志望し、川端画塾に通っていましたが、
父の急逝により、19歳で瓢阿の跡目を継ぎます。
襲名の許しを得る為に、88歳の益田鈍翁を訪ねた際、
「若さを無駄にせず勉強せよ。我が家の蔵の物は自由に見て研究すべし。
又、茶友の所有する名籠を見られるように計らうから写してみよ。
古来の名品の模写こそ最上の勉強ならん」と励まされ、
1938(昭和13)年、鈍翁が亡くなるまで指導を受けました。
団琢磨、藤原銀次郎、馬越恭平、高橋箒庵、三井守之助等の蔵品を写しながら制作に励みます。
1943(昭和18)年、戦地に召集され、地雷で片足を失いました。
戦後は井の頭牟礼にあった赤坂水戸幸の別荘に寄寓し、
1950(昭和25)年に井の頭公園の駅前に居を構えました。
各界の名士に知己を得た事が、戦後の仕事にも繋がり、松永耳庵や畠山一清達の仕事をしながら、
1956(昭和31)年に竹芸教室「竹樂会」を創立しました。
1993(平成5)年に家督を譲って隠居し、「瓢翁」と号しました。
侘び籠を中心として、茶杓や竹花入等の制作に加え、
研究、執筆、講演等、多方面に活躍すると共に絵画や陶芸を楽しみました。


桂籠(桂川籠)

千利休は桂川で鮎漁の漁夫が腰に帯びた袋形の魚籠に目を止め、
背面に鉄鐶を付けて掛花入としました。
ざっくりとした編目の味わいに侘びた風情が賞されています。
2代千少庵、3代千宗旦へと伝来し、
宗旦に長年師事した山田宗徧が江戸下向の際、
「不審庵」の号と共に伝承の印として授かりました。
黒塗の竹筒落としに「桂川」の銘と花押を朱漆書きしました。
後に宗徧は吉良義央に譲ります。
赤穂浪士の討ち入り事件では吉良の首の代用として、
風呂敷に包み、槍の先に刺して引き上げたという伝説が伴っています。