古美術 天平堂

初期鍋島色絵花唐草文皿(江戸前期)

商談中要お問い合わせ

菊に唐草文を題材とした八方割の斬新な意匠に目を奪われる最高傑作品です。周囲の薄瑠璃釉が全体をほどよく引き締め、余白の美の到達点ともいえる中央白抜き法が冴え渡っています。完成期に近付いていく過程の中、盛期のような規格が厳しい約束事に囚われる事ない大らかさが感じられ、扁平の浅い木盃形に初期鍋島の特徴が現れています。裏側面は牡丹折枝文を三方に配し、高台にはハート繋文が丁寧に描かれています。将軍家を頂点とする富裕層の需要を賄った「ハレの器 鍋島」。プライスレスのミュージアムピースです。類似品が戸栗美術館に確認できます。

商品コード
220518-2

お問い合わせ

時代
江戸前期
17世紀中頃
重量
338g
口径
19.6cm
高さ
4.3cm
底径
10.1cm
次第
張込箱(桐箱)
アクリル皿立
状態
縁に僅かな共直しが1個所あります

地肌や染付の発色、焼き上がりも秀抜で、一級品の条件を備えています。


年表(肥前磁器)


鍋島焼

鍋島焼とは肥前国佐賀藩鍋島家の庇護の下、
松浦郡大川内山の鍋島藩窯で焼成された精巧で格調高い特別誂えの磁器です。
日本では唯一の官窯的性質を持ち合わせた世界に誇れる最高傑作品であり、
その技術練度は柿右衛門様式を遥かに凌ぎ、極めて高い評価を確立しています。
最上質の物は中国の御器廠(官窯)に比肩しうるといっても過言ではありません。
将軍家への献上を目的として幕藩体制における公儀権力への忠誠服従の表徴、
更に諸大名との公誼和親の証に藩外へ散布されました。
伊万里焼のように販売を目的とした物ではなく、
江戸時代を通して採算度外視で焼成している為に一般には全く市販されませんでした。
藩窯の基本姿勢であった茶陶路線は執らず、皿を中心とした実用器に焦点を当てました。
肥前地方では焼物の生産地区を「山」と呼び、
鍋島藩では御用品を焼成する窯場を「御道具山(鍋島藩窯)」と称しました。
又、「(御)留山」とは御殿様の窯場という最高の敬意を含んだ呼称です。
鍋島藩窯には肥前諸窯から最高練度の技術をもつ職人が召致され、
他窯場と離れた幽境で厳格な組織下に藩窯の作風確立が図られました。
陶工は31人、生産数は年間5,031個と幕末の記録に残っています。
尚、出入り口には関所を設けて関係者以外の通行を禁止し、
このような厳重な警戒態勢を極めていたのは藩窯秘技の漏洩を防ぐ為でした。
ここで働く職人は全て名字帯刀を許可され、一切の公課は免ぜられたと伝えられます。
有田町の中心から直線にして北に約5kmの鍋島藩窯跡へ行くには遠回で迂回せねばならず、
その行程となると8kmは十分にあり、鍋島藩窯を隔離する上で適当な距離でした。
生産は中国の御器廠に倣った各専門による分業体制で自己の最善が尽くされました。
1枚の皿といえども多数の職人の手を経ています。
運搬中の破損事故も考慮して製品は余分に造られ、
基本は20枚一組で献上された事が伝えられています。
盛期は優れた技法に裏付けされた最高峰の技術が集約されており、
染付や青磁がありますが、最も主たるものは世にいわれる「色鍋島」です。
色鍋島は染付で輪郭線を描いて赤、緑、黄の基本色で枠内に上絵付けをします。
この技法は明時代・成化年間(1465~87)の「豆彩(闘彩)」を踏襲して洗練された技術を示し、
労力を惜しまない採算度外視の御用窯だからこそ実現する事ができました。
文様の特徴は中国や朝鮮の図案影響を脱して和様の情趣を反映しているところにあります。
自然界の植物文を中心とした独自の風格をもつ洗練されたデザインです。
又、山水や能衣装、桃山・江戸時代の絵手本からも画題を取り入れています。
代表的な器形は轆轤成形による「木盃形」という高い高台に特色がある皿です。
通常の有田民窯に比べて高台が高いというのは格式を演出する意味合いも考えられます。
高台の外面周囲には多くの作品に「櫛歯文」と呼ばれる特殊な模様が染付で描かれており、
当時は基本的に鍋島藩窯だけに許された技法で他窯においては厳重に禁じられました。
盛期は染付で輪郭線を描いた中に濃みを入れていく綿密な手法を執っていますが、
時代が下がるに連れてだんだん長くなって乱れ出し、
次第に簡略化された一本線で描かれるような退化傾向が現れます。
製品には検査役員の数回に及ぶ厳重な検査が行われ、
選考された合格品だけが藩に納められ、欠点をもつ不合格品は残らず破砕されました。
1871(明治4)年の廃藩置県によって鍋島藩窯も廃窯となりました。


初期鍋島(古鍋島)

初期鍋島(古鍋島)とは1650~60年代を中心に鍋島藩窯で焼成された作品です。
大川内山での初期藩窯は日峯社下窯(日峯社とは鍋島直茂を祀る神社)であり、
一般向け製品と、献上用の精緻な高級磁器を併用焼成していました。
皿の器形は浅いのですが、
規格が定まった木盃形が見られるようになります。
やや濃厚な色調で五寸皿、変形皿を中心とし、
染付や色絵の他に青磁、瑠璃釉、銹釉等も併用されています。
色絵は染付や赤線で輪郭線を描いて試行錯誤を繰り返していた時期といえます。
高台文様は四方襷文、波濤文、ハート繋文、鋸歯文、雷繋文、剣先蓮弁文、七宝結文等が多く、
盛期以降に主流となる櫛歯文は少ないです。
盛期のような規格が厳しい約束事に囚われる事のない力強い作品が多く、
猪口も数多く造られました。