古美術 天平堂

李朝染付雲鶴文瓶(朝鮮時代)

500,000

優美で高潔な趣に満ちた分院里窯の優品です。表面に吉祥の雲鶴文、裏面には涼やかな竹文が丁寧に描かれています。この類の作品は頸に共直しや傷が見られる事が多いのですが、現品は極めて良好な状態を保っています。地肌や染付の発色、焼き上がりも抜群に良いです。

商品コード
220402-8

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時代
朝鮮時代
19世紀
重量
732g
胴径
12.7cm
口径
4.2cm
高さ
18.6cm
底径
8.2cm
次第
桐箱
状態
完品(無傷)

地肌や染付の発色、焼き上がりも抜群で、一級品の条件を満たしています。口縁にノミホツが1個所ありますが、無傷といえる範疇です。


李朝(李氏朝鮮)

李朝とは1392年に李成桂が朝鮮半島に建国した朝鮮最後の統一王朝です。
朝鮮の国号は李成桂が明国王に認知を求め、1393年に採択した経緯があります。
「李朝」の呼称は通称にすぎませんが、
日本ではこの通称が定着して長く用いられています。
漢城(現:ソウル)を首都とし、
政治理念を儒教において絶対的な社会性としました。
国教である儒教の精神は人々の生活の規範として深く浸透し、
現世の実質的生活を尊び、清廉潔白を崇め、醇朴で倹素な気風を養う事が理念とされます。
節用を重んじた体制下では遂に色絵が焼成される事はありませんでした。
このように李朝では高麗時代の仏教が衰え、抑仏崇儒政策が急速に推し進められました。
「白」は神聖と簡素を旨とする清浄無垢な色彩であり、
祭器においても白磁が用いられました。
祭器は李朝全期を通して盛んに焼成されましたが、
儒教が人々の心の奥にまで浸透してきた李朝中期は特に注目されています。
李朝前期の体制に従う為だけの儀式も李朝中期には精神の拠り所として根付いていきます。
李朝前期における祭器の使用は社会の上層部だけに限られていましたが、
李朝中期以降は一般庶民も儀式に従って先祖の霊を祭る習慣が生活の中心を占めてきます。
こうして国全体における祭器の需要は膨大なものとなり、
増加の傾向を辿っていきました。
日清戦争(1894~1895)後の1897年に国号を「大韓」と改称しました。
日露戦争(1904~1905)後は日本の保護国となり、
1910年の韓国併合で滅亡しました。