古美術 天平堂

絵唐津茶碗(桃山~江戸初期)

御売却済

数寄者が「呼月」と命銘された中途伝世の絵唐津茶碗です。「打煙る松浦潟(虹の松原付近一帯の海域)の夜は月に 」と、灰鼠色に明るく浮かぶ呼継ぎ(欠損した部分を陶片で補った修復)を「月」。「呼び合いながら雁鳴き渡る」と、表面の鉄絵を「雁」に見立てた情緒豊かな歌が添えられています。お客様からの委託品で、「歴代の所有者様が創り上げた器の世界観を楽しく繋いで行って頂ければ」という思いに感化されました。8月末日頃までの限定掲載となります。

時代
桃山~江戸初期
16世紀末期~17世紀初期
状態
呼継ぎがあります
重量
240g
口径
11.4cm
高さ
6.7cm
底径
4.3cm
次第
仕覆
時代箱
商品コード
210729-3

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年表(桃山~江戸時代)


古唐津

唐津焼とは肥前国唐津藩を中心とした肥前地方で焼成された陶器です。
名称は唐津港から積み出しされた事に由来しています。
「一楽、二萩、三唐津」と謳われるように茶陶の分野においても高い評価を受けています。
この地は嘗て松浦党領袖であった波多三河守親の支配下にありましたが、
文禄の役における失態を理由として、
1593(文禄2)年に豊臣秀吉から波多氏が改易されると、
尾張国出身の寺沢志摩守広高の領地となって肥前国唐津藩が成立しました。
唐津古窯跡の中でも最も早い創業とされるのが岸岳山麓に点在する諸窯で、
これは朝鮮から移住してきた渡来陶工達によって焼成されたと考えられています。
岸岳は海抜約320mの山麓で波多氏が山城を築いて居城した地でありましたが、
波多氏改易に伴って岸岳陶工達は肥前各地に離散しました(岸岳崩れ)。
波多氏の改易と岸岳諸窯の廃業は、
1593(文禄2)年以前から古唐津が焼成されていた根拠の一つとされています。
唐津焼の創始については発掘調査や研究から天正年間(1573~92)頃と考えられています。
創生期は天正年間頃だとしても唐津焼は文禄・慶長の役に始まったといっても過言でなく、
桃山~江戸初期にかけて優れた作品を多く焼成した隆盛期を迎える事になります。
この桃山~江戸初期までの作品は「古唐津」と呼ばれています。
唐津焼はその殆どが一般庶民の日用品として量産された物ですが、
点茶が流行した桃山~江戸初期頃には茶人間の眼に留まって茶陶に見立てられました。
この雑器的な素朴さも唐津焼の大きな魅力の一つです。
中には茶人や茶道具商による注文品もあり、
全体的な総数からすると極めて少ない事から特に高い評価を受けています。
17世紀に入ると唐津焼にとって大きな事件が生じる事になります。
渡来陶工・李参平(和名:金ヶ江三兵衛)による泉山陶石の発見と磁器焼成の成功です。
伊万里焼の生産拡大は唐津焼衰退に大きな影響を与えました。
江戸前期には二彩唐津等に特色が見られるもの古唐津程の魅力は失われ、
以後は僅かに御用窯(御茶碗窯)が残るだけとなりました。