古美術 天平堂

香炉薬蛤皿(10代 樂吉左衛門 / 5客)

御売却済

上巳の節句(桃の節句)に相応しい蛤の重ね貝を意匠にした向付です。蛤は対の貝殻しか絶対に合わない事から相性の良い伴侶と結ばれる事を願う縁起物とされます。2代樂常慶は書院飾り等に用いる香炉に好んで白釉を掛け、それらが名香炉として後世に伝わった為、その白釉を「香炉釉」と呼ぶようになりました。荒い貫入の線が黒く見えるのが特徴です。底部中央に徳川治宝候の筆による「拝領印」が見られます。

作者
10代 樂吉左衛門(旦入)
1795(寛政7)年~1854(安政元)年
状態
完品
重量
約 277g
約 16.6×13.1cm
高さ
約 5.8cm
次第
15代 樂吉左衛門(直入) 識箱
商品コード
210511-2

10代 樂吉左衛門(旦入) 1795(寛政7)年~1854(安政元)年

10代樂吉左衛門は9代樂吉左衛門(了入)の次男として京都に生まれました。
名を市三郎(後に惣治郎・吉左衛門)、諱を喜愷、号を秀人・旦入といいます。
1811(文化8)年、10代樂吉左衛門を襲名しました。
1819(文政2)年に紀州徳川家10代藩主・徳川治宝が御庭焼(偕楽園窯)を創設した為、
表千家9代了々斎宗左や父に同候して従事しました。
その後もしばしば紀州家を訪れて、
1826(文政9)年には治宝候の筆による隷書「樂」を拝領し、
大小二つの「拝領印」としました。
1834(天保5)年に紀州徳川家11代藩主・徳川斉順が湊御殿御庭焼(清寧軒窯)を創設した際、
製陶に従事して「清寧印」を用いました。
1838(天保9)年の長次郎二百五十回忌に黒茶碗を250碗制作し、
表千家10代吸江斎宗左から授かった「行書印」を用いました。
1845(弘化2)年、慶入に家督を譲って隠居し、「旦入」と号しました。
吸江斎より「宗旦」の「旦」字を授かった事に由来します。
旦入の箆削りは間合いの良い洒脱な趣があり、
樂茶碗における箆削りは旦入によって完成されたといえます。
襲名後は小沼日向守の筆といわれる下部が正しい「木」の「木楽印」をよく用い、
隠居後は大徳寺447世拙叟宗益による「隠居印」が用いられています。


15代 樂吉左衛門(直入) 1949(昭和24)年生

15代樂吉左衛門は14代樂吉左衛門(覚入)の長男として京都に生まれました。
名を光博(後に吉左衛門)、号を直入といいます。
1973(昭和48)年、東京芸術大学彫刻科を卒業後、イタリアに留学しました。
1981(昭和56)年、15代樂吉左衛門を襲名しました。
1987(昭和62)年、日本陶磁協会賞を受賞しました。
1988(昭和63)年、長次郎四百回忌を営みました。
1991(平成3)年、京都美術文化賞を受賞しました。
1992(平成4)年、日本陶磁協会賞金賞を受賞しました。
1993(平成5)年、MOA岡田茂吉優秀賞を受賞しました。
1997(平成9)年、織部賞を受賞しました。
1998(平成10)年、毎日芸術賞を受賞しました。
2000(平成12)年、フランス政府より芸術文化勲章・シュヴァリエを受章しました。
2001(平成13)年、京都府文化賞功労賞を受賞しました。
2006(平成18)年、MOA岡田茂吉大賞を受賞しました。
2007(平成19)年、京都市文化功労賞を受賞しました。
滋賀県守山市の佐川美術館に「樂吉左衛門館」が新設されました。
京都市文化功労者として顕彰を受けました。
2019(令和元)年、長男・篤人に家督を譲って隠居し、「直入」と号しました。
海外でも優れた活動が注目されており、
伝統の中に現代性を付与した作風は現代における樂焼を掲示しています。
「焼貫」の技法を駆使した大胆な箆削りによる前衛的な作風を確立しています。