古美術 天平堂

Special Preview先行紹介

鍋島色絵花籠文皿(江戸中期)

2,800,000

造形、絵付け、焼き上がり、状態、全てにおいて非の打ち所がない完璧といえる名品です。壺に木犀、露草、秋海棠、椿を入れた籠が印象的で、鍔縁は如意頭繋文により精緻に装飾されています。裏側面の「結び目のない七宝紐文」は初期鍋島(古鍋島)から盛期鍋島への転換期に見られるという研究結果があり、一定の期間内に制作が限定される事から作品数も限られています。現品は最盛期の通例作品に移行する頃の作品と位置付けできます。類似品が田中丸コレクションに確認できます。

時代
江戸中期
17世紀後半
状態
完品
重量
248g
口径
15.5cm
高さ
4.4cm
底径
7.6cm
次第
印籠仕様の張込箱を作成しています
アクリル皿立付
商品コード
210204-1

鍋島焼

鍋島焼とは肥前国佐賀藩鍋島家の庇護の下に、
松浦郡大川内山の鍋島藩窯で焼成された精巧で格調高い特別誂えの磁器です。
日本では唯一の官窯的性質を持ち合わせた世界に誇れる最高傑作品であり、
その技術練度は柿右衛門様式を遥かに凌いで極めて高い評価を確立しています。
最上質の物は中国の御器廠(官窯)に比肩しうるといっても過言ではありません。
将軍家への献上を目的として幕藩体制における公儀権力への忠誠服従の表徴、
更に諸大名との公誼和親の証に藩外へ散布されました。
伊万里焼のように販売を目的とした物ではなく、
江戸時代を通して採算度外視で焼成している為に一般には全く市販されませんでした。
藩窯の基本姿勢であった茶陶路線は執らず、皿を中心とした実用器に焦点を当てました。
肥前地方では焼物の生産地区を「山」と呼び、
鍋島藩では御用品を焼成する窯場を「御道具山(鍋島藩窯)」と称しました。
鍋島藩窯には肥前諸窯から最高練度の技術をもつ職人が召致され、
他窯場と離れた幽境で厳格な組織下に藩窯の作風確立が図られました。
陶工は31人、生産数は年間5031個と幕末の記録に残っています。
尚、出入り口には関所を設けて関係者以外の通行を禁止し、
このような厳重な警戒態勢を極めていたのは藩窯秘技の漏洩を防ぐ為でした。
有田町の中心から直線にして北に約5kmの鍋島藩窯跡へ行くには遠回で迂回せねばならず、
その行程となると8kmは十分にあり、鍋島藩窯を隔離する上で適当な距離でした。
生産は中国の御器廠に倣った各専門による分業体制で自己の最善が尽くされました。
一枚の皿といえども多数の職人の手を経ています。
盛期は優れた技法に裏付けされた完成度の高いもので最高峰の技術が集約されています。
染付や青磁等がありますが、最も主たるものが世にいわれる「色鍋島」です。
色鍋島は染付で輪郭線を描いて赤、緑、黄の基本色で枠内に上絵付けをします。
この技法は明時代・成化年間(1465~87)の「豆彩(闘彩)」を踏襲して洗練された技術を示し、
労力を惜しまない採算度外視の御用窯だからこそ実現する事ができました。
文様の特徴は中国や朝鮮の図案影響を脱して和様の情趣を反映しているところにあります。
自然界の植物文を中心とした独自の風格をもつ洗練されたデザインです。
又、山水や能衣装、桃山・江戸時代の絵手本からも画題を取り入れています。
代表的な器形は轆轤成形による「木盃形」という高い高台に特色がある皿です。
通常の有田民窯に比べて高台が高いというのは格式を演出する意味合いも考えられます。
高台の外面周囲には多くの作品に「櫛歯文」と呼ばれる特殊な模様が染付で描かれており、
当時は基本的に鍋島藩窯だけに許された技法で他窯においては厳重に禁じられました。
盛期は染付で輪郭線を描いた中に濃みを入れていく綿密な手法を執っていますが、
時代が下がるに連れて簡略化された一本線で描かれるような退化傾向が現れます。
製品には極めて細心の注意を払い、検査役員の数回に及ぶ厳重な検査が行われます。
選考された合格品だけが藩に納められ、欠点をもつ不合格品は残らず破砕されました。
1871(明治4)年の廃藩置県によって鍋島藩窯も廃窯となりました。

肥前磁器(年表)