古美術 天平堂

萩茶入(三輪休和)

御売却済

無駄を極限まで削ぎ落とした器体にバランスの取れた口造り、卓越した轆轤技術と休雪白が品位ある景色を生み出しています。希少性の高い晩年期の「休和」銘となっており、素直で大らかな趣の中に妥協を許さない厳しさが宿っています。

作者
三輪休和
1895(明治28)年~1981(昭和56)年
人間国宝
状態
完品
重量
158g
胴径
6.5cm
口径
3.7cm
高さ
8.8cm
底径
4.1cm
次第
牙蓋
仕覆(相阿弥緞子、金剛金襴)
共箱
商品コード
210202-4

10代 三輪休雪(休和) 1895(明治28)年~1981(昭和56)年

10代三輪休雪は9代三輪雪堂の次男として山口県萩市に生まれました。
本名を邦廣、号を休雪(襲名後)・休和(隠居後)といいます。
幼少時において剛直な祖父・8代三輪雪山から陶工としての薫陶を受けました。
1910(明治43)年、祖父の勧奨で萩中学校を中退し、家業に従事しました。
1923(大正12)年、大正天皇銀婚式奉祝の際に山口県知事献上の「郭子儀置物」を制作しました。
1926(大正15)年、東宮殿下が萩町行啓の際に山口県知事献上の「布袋置物」を制作しました。
1927(昭和2)年、10代三輪休雪を襲名しました。
1928(昭和3)年、今上陛下御大典奉祝の際に山口県知事献上の「寿老人置物」を制作しました。
1929(昭和4)年、毛利公爵家より梨本宮殿下へ献上の「桃坊朔置物」を制作しました。
閑院宮殿下が萩町行啓の際に萩町献上の「布袋置物」と「玉取獅子置物」を制作しました。
毛利公爵家より秩父宮殿下へ献上の「郭子儀置物」を制作しました。
1933(昭和8)年、澄宮殿下が山口県行啓の際に山口県町村長会献上の「玉取獅子置物」を制作しました。
1934(昭和9)年、毛利元昭古稀奉祝の際に萩懐恩会献上の「桃坊朔置物」を制作しました。
1935(昭和10)年に愛国婦人会総裁・東伏見宮妃殿下が山口県行啓の際に、
愛婦山口県支部と毛利公爵家献上の「玉取獅子置物」と「夏・冬茶碗」と「高彫唐草文大花瓶」を制作しました。
1936(昭和11)年、閑院宮両殿下が行啓の際に毛利公爵家献上の「大花瓶」を制作しました。
1938(昭和13)年、山口県立萩図書館講座講師に就任しました。
1941(昭和16)年に川喜田半泥子が三輪窯へ来遊した事を機に、
翌年の1942(昭和17)年に三重県津市の半泥子宅に招かれ、
川喜田半泥子、荒川豊蔵、金重陶陽と「からひね会」を結成しました。
茶陶の本格的な近代化はここに始まり、桃山陶磁の研究も一層進展しました。
1943(昭和18)年、技術保存法指定作品山口県認定委員に就任しました。
萩焼における工芸技術保存資格者として指定を受けました。
1948(昭和23)年、芸術陶磁認定委員、萩焼美術陶芸協会副会長に就任しました。
1954(昭和29)年、表千家同門会山口県支部が結成されて理事に就任しました。
1955(昭和30)年、自在庵保存会長に就任しました。
全日本産業工芸展で会長賞を受賞しました。
1956(昭和31)年、山口県指定無形文化財に認定されました。
1957(昭和32)年、山口県陶芸協会が創設されて会長に就任しました。
文化財保護委員会より「記録作成等の措置を構ずべき無形文化財」として選択を受けました。
「三輪休雪後援会」が設立されました。
日本工芸会正会員となりました。
1959(昭和34)年、水指が文化財保護委員会に買い上げられました。
松蔭百年祭の記念品として表千家13代即中斎宗左好みの茶碗100個を制作しました。
松蔭百年祭献茶会長に就任しました。
山口県美術展審査委員に就任しました。
山口県陶磁協会が萩焼陶芸協会に改組されて会長に就任しました。
1960(昭和35)年、茶碗がスペイン国立民族博物館に買い上げられました。
1961(昭和36)年、萩焼陶芸協会が「萩焼陶芸作家協会」に改組されて会長に就任しました。
即中斎宗左の還暦記念茶碗60個を制作しました。
大阪商工会議所の委嘱によりマッカーサー元師へ贈呈の花瓶を制作しました。
中国文化賞を受賞しました。
1963(昭和38)年、山口国体開催の際に山口県知事より天皇陛下献上の花瓶を制作しました。
萩市文化財審議委員に委嘱されました。
1964(昭和39)年、山口県選奨(芸術文化功労)を受賞しました。
1965(昭和40)年、自在庵保存会長を辞任して相談役に就任しました。
古稀記念作品として天皇陛下、皇太子殿下、各宮家に茶碗を献上しました。
1966(昭和41)年、参議院の委嘱により朝永振一郎ノーベル賞受賞祝賀贈呈の花瓶を制作しました。
茶碗が文化財保護委員会に買い上げられました。
1967(昭和42)年、文化財保護委員会より三輪休雪の技術記録が作成されました。
茶碗と水指が文化財保護委員会に買い上げられました。
弟・節夫に家督を譲って隠居し、「休和」と号しました。
この後、個展活動を休止して一作一作に手間をかけた制作活動に入ります。
三輪神社、伊勢神宮に茶碗を奉納しました。
萩市制35周年記念「産業功労者」として表彰を受けました。
紫綬褒章を受章しました。
1968(昭和43)年、参議院の委嘱により川端康成ノーベル賞受賞祝賀贈呈の「獅子置物」を制作しました。
1969(昭和44)年、山口放送KK・山口県善行者表彰を受けました。
1970(昭和45)年、11代三輪休雪の次男・栄造を養嗣子としました。
重要無形文化財「萩焼」の保持者(人間国宝)に認定されました。
1971(昭和46)年、日本工芸会主催の萩焼研修会講師に就任しました。
1972(昭和47)年、茶碗を明治神宮、伊勢神宮、三輪明神、出雲大社に奉納しました。
萩市名誉市民の称号を受けました。
日本伝統工芸展の出品作品が文化庁に買い上げられました。
1973(昭和48)年、勲四等旭日小綬章を受章しました。
茶碗を伊勢神宮、生田神社に奉納しました。
1974(昭和49)年、茶碗が迎賓館別館茶室に買い上げられました。
常陸宮両殿下に御来窯御台臨を賜りました。
1975(昭和50)年、「伝統の萩焼と高麗茶碗・古萩名品展」の実行委員に就任しました。
日本伝統工芸展の出品作品が文化庁に買い上げられました。
10代三輪休雪の時代は他の窯業地と同様に萩焼においても陶業者の転廃業が相次ぎました。
三輪家も家業を維持する事に懸命でしたが、
旧藩主・毛利家の紹介で財界茶人所蔵の名器を拝見する等の陶磁研究を怠りませんでした。
萩焼の源流である高麗茶碗の研究に打ち込みながら桃山茶陶の研究を重ね、
温雅な趣に富んだ休和様式を確立させました。
休雪白に代表されるその技法は伝統ある萩焼に新境地を開拓し、
国の重要無形文化財(人間国宝)にまで認定されました。
近代になって低迷していた萩焼を空前の繁栄に導いた功労者で、
文人的素養を秘めた休和陶芸は不滅の功績を残しました。