古美術 天平堂

赤茶碗(10代 樂吉左衛門)

御売却済

手捏ねによる堂々とした姿形と表情ある豊かな窯変が見事な赤茶碗です。各所を引き立たせる箆削りは技巧的な完成を遂げ、口縁のなだらかな山道が造形に妙味を与えています。高台脇に徳川治宝候の筆による「拝領印」が見られます。共箱に15代樂吉左衛門氏の識箱と次第もしっかりと整っています。

作者
10代 樂吉左衛門(旦入)
1795(寛政7)年~1854(安政元)年
状態
完品
重量
301g
11.1cm
高さ
7.8cm
底径
4.9cm
次第
共箱
15代 樂吉左衛門 外識箱
商品コード
190730-1

10代 樂吉左衛門(旦入) 1795(寛政7)年~1854(安政元)年

10代樂吉左衛門は9代樂吉左衛門(了入)の次男として京都に生まれました。
名を市三郎(後に惣治郎・吉左衛門)、諱を喜愷、号を秀人・旦入といいます。
1811(文化8)年、10代樂吉左衛門を襲名しました。
1819(文政2)年に紀州徳川家10代藩主・徳川治宝が御庭焼(偕楽園窯)を創設した為、
表千家9代了々斎宗左や父に同候して従事しました。
その後もしばしば紀州家を訪れて、
1826(文政9)年には治宝候の筆による隷書「樂」を拝領し、
大小二つの「拝領印」としました。
1834(天保5)年に紀州徳川家11代藩主・徳川斉順が湊御殿御庭焼(清寧軒窯)を創設した際、
製陶に従事して「清寧印」を用いました。
1838(天保9)年の長次郎二百五十回忌に黒茶碗を250碗制作し、
表千家10代吸江斎宗左から授かった「行書印」を用いました。
1845(弘化2)年、慶入に家督を譲って隠居し、「旦入」と号しました。
吸江斎より「宗旦」の「旦」字を授かった事に由来します。
旦入の箆削りは間合いの良い洒脱な趣があり、
樂茶碗における箆削りは旦入によって完成されたといえます。
襲名後は小沼日向守の筆といわれる下部が正しい「木」の「木楽印」をよく用い、
隠居後は大徳寺447世拙叟宗益による「隠居印」が用いられています。