萩茶碗(12代 坂倉新兵衛)

¥180,000

萩焼中興の祖として名工の誉れ高い12代坂倉新兵衛の茶碗です。円熟の極致に達した最晩年(76歳)の作品で整然とした風格のある作行は他の追随を許さぬ個性が感じられます。

在庫あり

作者12代 坂倉新兵衛
1881(明治14)年~1960(昭和35)年
山口県指定無形文化財
状態完品
口径14.6×14.3cm
高さ8.4cm
底径6.1cm
次第共箱、共布、栞
表千家13代 即中斎宗左 書付、銘:『松ヶ枝』
商品コード: 190703-9-1 商品カテゴリー:

説明

12代 坂倉新兵衛 1881(明治14)年~1960(昭和35)年

 12代坂倉新兵衛は11代坂倉新兵衛の長男として山口県長門市に生まれました。
本名を平吉といいます。
1897(明治30)年、12代坂倉新兵衛を襲名しました。
1898(明治31)年、萩焼宗家9代坂高麗左衛門に師事して萩焼再興を志します。
1899(明治32)年に修行の余暇を利用して萩漢学塾に学び、
吉田松陰の兄・杉民治に茶道の手解きを受けました。
1905(明治38)年、山口県長門市深川湯本の自家に築窯して独立しました。
1910(明治43)年、関西府県連合共進会で受賞しました。
1913(大正2)年に山口県知事より萩焼販路調査を委嘱され、
香川県高松市久保町の海徳寺にて萩焼陶器展を開催しました。
1919(大正8)年、茶陶としての技術を更に高める為に表千家12代惺斎宗左に師事しました。
惺斎宗左の知遇を得て御好み窯の許しを受け、御好み道具制作の御下命を受けました。
1922(大正11)年、平和博覧会美術館部で受賞しました。
1926(昭和元)年、聖徳太子奉讃会美術展で総裁久邇宮賞を受賞しました。
1932(昭和7)年、山口県立深川高等女学校茶道教授を嘱託されました。
1943(昭和18)年、萩焼における工芸技術保存資格者として指定を受けました。
1947(昭和22)年、美術陶器認定委員に就任しました。
天皇陛下が山口行啓の際、献納品を制作しました。
1948(昭和23)年、萩焼美術陶芸協会会長に就任しました。
惺斎宗左亡き後は表千家13代即中斎宗左に師事して乱飾相伝を許されました。
1950(昭和25)年、萩焼振興の功績により中国文化賞を受賞しました。
1953(昭和28)年、全国陶磁器大展示会で優良賞を受賞しました。
1954(昭和29)年、千家同門会山口県支部顧問に推挙されました。
長門湯本振興会長に推挙されました。
1956(昭和31)年、山口県指定無形文化財に認定されました。
1957(昭和32)年、日本工芸会正会員となりました。
文化財保護委員会より記録作成等の措置を構ずべき無形文化財として選択を受けました。
1960(昭和35)年、長門市ロータリークラブ会長に就任しました。
1966(昭和41)年、茶碗が文化財保護委員会に買い上げられました。
明治期に入ると萩焼は藩の庇護を失って急速に衰退しましたが、
10代三輪休雪と萩焼復興に尽力して絶大な業績を残し、「萩焼中興の祖」と仰がれています。
茶陶としての格式を高める為に表千家で茶の湯を学んで表千家との深い繋がりを持ち、
茶の湯と萩焼との結び付きを強調する事で茶陶萩焼のブランドイメージを確立しました。
作風は控えめで茶の湯の場に馴染む事を第一に温和と品位を求めています。

表千家13代 即中斎宗左 1901(明治34)年~1979(昭和54)年

 表千家13代即中斎宗左は表千家12代惺斎宗左の次男として生まれました。
名を覚二郎(後に宗左)、号を即中斎・無尽・清友軒といいます。
父が亡くなる前年に兄・不言斎宗員が急逝した為、
1937(昭和12)年に表千家13代家元を襲名しました。
1940(昭和15)年、利休三百五十回忌を営みました。
1941(昭和16)年に太平洋戦争が勃発して茶道界も低迷を極めましたが、
戦後の混乱期にあっても余念なく家元の古格や伝統を保持する事に尽力しました。
社団法人表千家同門会や財団法人不審菴を設立して、
現代における茶道普及・伝統保持という組織機構の基礎を築き上げました。
機関誌『同門』を発行しており、
編著書に『即中茶記』、『表千家』、『元伯宗旦文書』、『千里同風』等が知られています。