柘榴染付金彩皿(近藤悠三)

¥250,000

子孫繁栄の吉祥文様である柘榴を題材とし、赤地に金彩が豪快に施された豪華絢爛で品位ある作品です。

在庫あり

作者近藤悠三
1902(明治35)年~1985(昭和60)年
人間国宝
状態完品
口径24.3cm
高さ3.7cm
底径12.7cm
次第共箱
商品コード: 190723-2 商品カテゴリー:

説明

近藤悠三 1902(明治35)年~1985(昭和60)年

 近藤悠三は京都府に生まれました。
本名を雄三といいます。
1914(大正3)年、京都市立陶磁器試験場付属伝習所轆轤科に入所しました。
1917(大正6)年に京都市立陶磁器試験場付属伝習所を卒業後、
京都市立陶磁器試験場に助手として勤務しました。
同所では河井寛次郎、浜田庄司が技師として陶磁を研究しており、
浜田庄司から窯業科学等を教わりました。
1921(大正10)年に京都市立陶磁器試験場を辞め、
奈良県生駒郡安堵村の富本憲吉の工房で助手を勤めました。
富本憲吉から受けた薫陶はその後の作陶家としての人生の上で大きな指針となりました。
1924(大正13)年に京都へ帰郷して関西美術院洋画研究所でデッサンや洋画を学ぶ傍ら、
京都市清水新道石段下に仕事場を作って作陶を始めました。
1939(昭和14)年、新文展で特選を受賞しました。
1950(昭和25)年、日展審査員に就任しました。
1951(昭和26)年、新匠会会員となりました。
1952(昭和27)年、伊勢神宮に「柘榴染付花瓶」を奉納しました。
1953(昭和28)年、皇太子殿下がご渡英の際に「柘榴染付大花瓶一対」の御用命を受けました。
京都市立美術大学陶磁器科助教授に就任しました。
1956(昭和31)年、日本伝統工芸会賞を受賞しました。
1957(昭和32)年、ミラノ・トリエンナーレ展で銀賞を受賞しました。
1958(昭和33)年、京都市立美術大学教授に就任しました。
「柘榴染付壷」が文化財保護委員会に買い上げられました。
1959(昭和34)年、宮中謁見間の御料品として「柘榴染付飾皿」を制作しました。
1960(昭和35)年、橿原神宮に「山染付大壷」を奉納しました。
1961(昭和36)年、皇居御座所の御料品として「柘榴染付壷」を制作しました。
「柘榴花瓶」がオークランド美術館に買い上げられました。
1965(昭和40)年、京都市立美術大学学長に就任しました。
1966(昭和41)年、京都国立博物館、京都国立近代美術館の評議員に委嘱されました。
1969(昭和44)年、京都芸術大学学長に就任しました。
新皇居の御料品として「赤地金彩花瓶一対」を制作しました。
1970(昭和45)年、紫綬褒章を受章しました。
1971(昭和46)年、京都芸術大学学長を退任して同大学名誉教授に推選されました。
1972(昭和47)年、京都市美術館評議員に委嘱されました。
1973(昭和48)年、勲三等瑞宝章を受章しました。
京都市文化功労者賞を受賞しました。
1974(昭和49)年、京都府美術工芸功労者賞を受賞しました。
1975(昭和50)年、「梅染付大皿」が京都国立近代美術館に買い上げられました。
1977(昭和52)年、重要無形文化財「染付」の保持者(人間国宝)に認定されました。
1980(昭和55)年、紺綬褒章を受章しました。
帝展や新文展等に染付を始めとする多様な技法で作品を発表してきましたが、
1955(昭和30)年に結成された日本工芸会所属後は専ら染付磁器の制作に集中しました。
柘榴、葡萄、薊、筍、梅、山水等が雄渾な絵画的筆致で表現され、
水墨画を思い起こさせる呉須の濃淡が何ともいえない色彩のバランスを作り出しています。

絵文様の解説

 柘榴はザクロ科の落葉高木で原産地はペルシア・インド地方が知られています。
六月頃、鮮紅色五弁の筒状花を開きます。
果実は秋に熟し、大きな球形を呈します。
果皮は黄紅色で黒斑があり、
熟すると裂けて中にある多数の種子を一部露出します。
果樹や観賞用として世界各地に広まり、日本には平安時代に渡来しました。
中国では多産を意味する吉祥文様として扱われています。
日本でも鬼子母神の象徴として吉祥果とされています。