古九谷吸坂手金銀彩山水文輪花皿

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希少性の高い吸坂手の作品です。銀彩は酸化して消えていますが、無駄を極限まで削ぎ落とした鋭く厳しい造形は一種の超絶技巧といえます。

御売却済

時代江戸前期(17世紀中頃)
状態完品
銀彩が経年劣化により消えています
口径14.1cm
高さ2.5cm
底径7.9cm
次第桐箱
類似品『柴田コレクション展(Ⅲ)』
佐賀県立九州陶磁文化館、P66,No156.
商品コード: 190309-1 商品カテゴリー:

説明

古九谷様式

 古九谷様式とは江戸前期に肥前有田で焼成された伊万里焼の様式です。
1640~50年代になると染付を中心とした伊万里焼に色絵技法が導入され、
この目覚しい技術革新で初期伊万里が新たに発展した古九谷様式へと変貌を遂げました。
中国の模倣に始まった色絵磁器が日本独自の展開を見せ、
茶人好みの作品も多く造られました。
絵付けが格段に良くなった作品も見られるようになり絵師の参加も窺えます。
在銘作品も飛躍的に増え、「角福」、「誉」等の様々な銘款が用いられました。
皿類の高台幅が広くなった事から焼成中に高台内の底部が垂れるのを防ぐ為、
磁胎と同じ材質で作られたハリという円錐状の支えを付ける手法が普及します。
色絵古九谷は欧州人の好みに不向きであった為か殆ど輸出されておらず、
国内の需要に応じて制作されたと推測されています。
古九谷様式も後半期には柿右衛門様式を思わせるような薄造りとなり、
絵文様も細密化していきます。

古九谷様式

吸坂手

 鉄釉は釉薬の中に含まれる鉄分の含有量によって発色が変化します。
それによって呼称も飴釉、柿釉、鉄釉、銹釉、黒釉等と区分され、
青磁は微量の鉄分によって青く発色します。
技巧に優れた生掛け焼成による柔らかい釉調の鉄釉作品は、
嘗て、石川県加賀市の吸坂地区で焼成されたとの説が唱えられ、
その地名から「吸坂」と名付けられました。
しかし、有田古窯跡の山小屋や百間窯等で、
吸坂とされる鉄釉陶片が確認された事によって誤認である事が立証されました。
鉄釉を主体とした吸坂は有田産という事が確定されていますが、
現在も「吸坂」という地名を冠した呼称は残っています。

古九谷様式の金銀彩

 金銀彩の焼成は明暦年間(1655~58)に始まったと推測されており、
欧州にも輸出されていた事がV.O.C(オランダ東インド会社)による輸出関係記録や、
伝世品から確認されています。
銀彩は1670年代に入ると使用例が減少していきます。
一つの要因に銀彩は年月の経過に伴って酸化して黒く変色する為とも考えられています。
一方、金彩は輸出古伊万里の全盛期である元禄年間(1688~1704)から多用され、
色絵の主流となる豪華絢爛の金襴手において隆盛しました。