帰漁(川合玉堂)

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穏やかなどこか懐かしい情景。海の恵みに感謝し、そこで生きる人々の姿が美しい玉堂の描線により表現されています。

御売却済

作者川合玉堂
1873(明治6)年~1957年(昭和32)年
文化勲章受章者
状態良好
本紙サイズ(縦)30.0×(横)47.8cm
軸装サイズ(縦)126.5×(横)62.2cm
種類紙本彩色
次第軸装
ニ重箱(共箱、塗箱)
共箱に汚れがあります
「東美鑑定評価機構 鑑定委員会」鑑定証書(020-0006)
「玉堂会」登録番号(ホ-第2273号)
商品コード: 181022-24 商品カテゴリー:

説明

川合玉堂 1873(明治6)年~1957年(昭和32)年

 川合玉堂は筆墨紙商・川合勘七の長男として愛知県に生まれました。
本名を芳三郎、号を玉舟、玉堂、偶庵といいます。
1881(明治14)年、一家は岐阜市に移住しました。
1887(明治20)年に青木泉橋の紹介状を持って京都の望月玉泉の門に入り、
「玉舟」の号を授かりました。
1890(明治23)年、円山派・幸野楳嶺の画塾「大成義会」に入りました。
「春渓群猿図」、「秋渓群鹿図」の連作を内国勧業博覧会に出品して入選を果たすと、
これを機に「玉堂」に改号しました。
1896(明治29)年、東京へ移住して橋本雅邦に師事しました。
1898(明治31)年、日本美術院に参加しました。
1900(明治33)年頃から私塾「長流画塾」を主宰しました。
1907(明治40)年、東京勧業博覧会審査官、文展審査員に就任しました。
1910(明治43)年、イタリア万国博覧会鑑査委員に就任しました。
1914(大正3)年、大正博覧会審査員に就任しました。
1915(大正4)年、東京美術学校日本画科教授に就任しました。
東京美術学校教授に就任しました。
1917(大正6)年、帝室技芸員となりました。
1918(大正7)年、東京美術学校日本画科主任に就任しました。
1919(大正8)年、帝国美術院会員となりました。
1922(大正11)年、朝鮮美術展覧会審査員に就任しました。
1931(昭和6)年にフランス政府よりレジオンドヌール勲章、
イタリア皇帝よりグランオフイシエー・クーロンヌ勲章を受章しました。
1933(昭和8)年、ドイツ政府より赤十字第一等名誉章を受章しました。
1935(昭和10)年、帝国美術院会員となりました。
勲三等瑞宝章を受章しました。
1940(昭和15)年、文化勲章を受章しました。
1944(昭和19)年に写生で訪れていた東京都西多摩郡三田村御岳(現:青梅市御岳)に疎開し、
住居を「偶庵」、画室を「随軒」と称しました。
1957(昭和32)年、勲一等旭日大綬章を受章しました。
玉堂の死後は御岳渓谷に美術館を設置しようという声が上がり、
香淳皇后の支援の下、諸団体、地元有志、並びに全国の玉堂ファンから多大な寄付を受け、
1961(昭和36)年に「玉堂美術館」が開館しました。
円山・四条派と狩野派を見事に融和させ、
日本の四季が織りなす美しい自然の風物詩を情趣豊かで写実的に描く独自の境地を開きました。
日本画壇を代表する重鎮に数えられます。