朝鮮唐津茶碗(13代 中里太郎右衛門)

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斗出した作行を示す朝鮮唐津茶碗です。温もりが感じられるようなざんぐりとした土味にたっぷり施された藁灰釉(斑釉)と鉄釉が鮮烈で美しい景色を生み出しています。

御売却済

作者13代 中里太郎右衛門
1923(大正12)年~2009(平成21)年
日本芸術院会員
佐賀県重要無形文化財
状態完品
12.8×12.2cm
高さ8cm
底径6.8cm
次第共箱、栞
商品コード: 180927-44 商品カテゴリー:

説明

朝鮮唐津

 朝鮮唐津とは鉄呈色の黒飴釉と失透性の藁灰釉を掛け合わせた唐津焼です。
名称の由来については定かではありませんが、
嘗ては叩き成形の物を朝鮮唐津と呼んでいました。
黒飴釉と藁灰釉が溶け合った部分は絶妙な様相を呈した海鼠釉となり、
多くの蒐集家や茶人達を魅了し続けています。

13代 中里太郎右衛門(逢庵) 1923(大正12)年~2009(平成21)年

 13代中里太郎右衛門は12代中里太郎右衛門(無庵)の長男として佐賀県に生まれました。
本名を忠夫、号を逢庵といいます。
1943(昭和18)年、東京高等工芸学校(現:千葉大学工学部)工芸図案科を卒業しました。
1946(昭和21)年、父と弟・中里重利と協力して御茶盌窯を再開しました。
加藤土師萌が古窯調査の為に唐津に訪れ、古唐津陶技復元の指導を受けました。
1948(昭和23)年、東京都綜合工芸展で褒賞を受賞しました。
1956(昭和31)年、日展で北斗賞を受賞しました。
1957(昭和32)年、日ソ国交回復記念日本美術工芸展の九州地方審査員に就任しました。
日展の出品作品がソ連文化省に買い上げられました。
1958(昭和33)年、日展で特選を受賞しました。
1961(昭和36)年、日本陶磁協会賞を受賞しました。
現代工芸美術家協会会員となりました。
1963(昭和38)年、現代工芸美術家協会九州部会設立により副会長に就任しました。
1964(昭和39)年、日本現代工芸美術展審査員に就任しました。
日本現代工芸美術展の出品作品が外務省に買い上げられて在外公館に陳列されました。
1965(昭和40)年、現代工芸美術家協会評議員に就任しました。
日本工芸美術展の出品作品が外務省に買い上げられて在外公館に陳列されました。
1966(昭和41)年、日本現代工芸美術展審査員、日展審査員に就任しました。
1967(昭和42)年、日展会員となりました。
現代工芸美術家協会九州会会長に就任しました。
1968(昭和43)年、佐賀大学教育学部講師に就任しました。
日展の出品作品が文部省に買い上げられて京都国立近代美術館に陳列されました。
1969(昭和44)年、13代中里太郎右衛門を襲名しました。
1970(昭和45)年、日展の出品作品が外務省に買い上げられました。
日展審査員に就任しました。
1973(昭和48)年、日本現代工芸美術展審査員に就任しました。
1974(昭和49)年、現代工芸美術家協会常務理事に就任しました。
1975(昭和50)年、日展審査員に就任しました。
1976(昭和51)年、日本現代工芸美術十五周年記念展審査員、日展評議員に就任しました。
現代工芸美術家協会常務理事に再任しました。
1977(昭和52)年、日本現代工芸美術展審査員に就任しました。
1978(昭和53)年、日本新工芸家連盟創立会員となり、全連盟総務委員に就任しました。
1979(昭和54)年、創立日本新工芸展審査員、日展審査員に就任しました。
1980(昭和55)年、日本新工芸展審査員に就任しました。
1981(昭和56)年、内閣総理大臣賞を受賞しました。
日本新工芸展審査員、日展評議員に就任しました。
1982(昭和57)年、日本新工芸家連盟理事、日本新工芸展審査員に就任しました。
1983(昭和58)年、日本新工芸展審査員に就任しました。
1984(昭和59)年、日本芸術院賞を受賞しました。
1985(昭和60)年、日展理事に就任しました。
1989(平成元)年、日展参事に就任しました。
1992(平成4)年、佐賀県重要無形文化財に認定されました。
日展審査員に就任しました。
1995(平成7)年、唐津市市政功労賞を受賞しました。
1997(平成9)年、紺綬褒章を受章しました。
1999(平成11)年、紺綬褒章を受章しました。
2000(平成12)年、日工会会長に就任しました。
2002(平成14)年に京都・大徳寺本山で得度し、
大徳寺520世雪底宗潭より安名「吟風宗松」、菴號「逢庵」を授かりました。
2004(平成16)年、京都造形芸術大学より博士(学術)号を授与されました。
2007(平成19)年、日本芸術院会員となりました。
2008(平成20)年、旭日中綬章を受章しました。
古唐津の伝統的技法を踏まえながら、
ハンネラ、辰砂、翡翠釉を始めとした新知の技法を採り入れて独自の作風を創出しました。