The graceful fan that spreads at the end is a symbol of auspiciousness leading to future prosperity and upward mobility. The designs are intricately expressed using techniques such as taka-makie, kirigane, and raden. The accompanying conditions that made it a double box(paulownia box, painted box)also indicate that the workmanship was excellent.
- Artist
- 2th Ikko Kiyose
1942-
- Weight
- 81g
- Diameter
- 8.5cm
- Height
- 5.8cm
- Description
- Pouch
Paulownia Box with Artist's Sign
(Urasenke 15th Hounsai-Soshitsu Appraisal)
Painted Box with Artist's Sign
- Condition
- Excellent Condition
It is in good condition without a feeling of use.
2th Ikko Kiyose 1942-
2th Ikko Kiyose was born in ishikawa prefecture as the eldest son of 1th Ikko Kiyose.
Real name is Susumu.
After graduating from Ishikawa Prefectural Technical High School, got a job at an automobile dealership in osaka, but returned to his hometown in 1975.
In 1986, succeeded to the 2th Ikko Kiyose.
In 1995, became the Japanese Traditional Craftsman.
In 2004, received the Ministry of Economy, Trade and Industry Chubu Bureau Director Award.
In 2005, received the Japan Lacquerware Commercial and Industrial Cooperative Association Director Award at the National Lacquerware Exhibition.
In 2006, received the Ishikawa Prefecture Governor Award.
In 2007, received the Minister of Economy, Trade and Industry Award.
In 2009, received the Merit Award from the Japan Traditional Craftsmen Association.
Received the Award for the Technology promoter, Traditional Industry Meritorious Person from the Ishikawa Prefectural Traditional Industries Council.
Received the Merit Award from the Kanazawa Lacquerware Commerce and Industry Cooperative Association.
Strives to create luxurious and stately works using kaga makie, a style that has been around since the edo period, and is also committed to training his successors.
裏千家15代 鵬雲斎宗室 1923(大正12)年生
裏千家15代鵬雲斎宗室は裏千家14代淡々斎宗室の長男として生まれました。
幼名を宗興、名を宗室・玄室、号を鵬雲斎・汎叟といいます。
1946(昭和21)年、同志社大学法学部経済学科を卒業後、ハワイ大学に修学しました。
1949(昭和24)年、大徳寺503世瑞巌宗碩より安名「玄秀宗興居士」、斎号「鵬雲斎」を授かりました。
1964(昭和39)年、裏千家15代家元を襲名しました。
1973(昭和48)年に妙心寺管長・梶浦逸外より虚心の法名「垂示」を授かり、虚心庵住職に就任しました。
藍綬褒章を受章しました。
1980(昭和55)年、紫綬褒章を受章しました。
1983(昭和58)年、京都市文化功労者として表彰を受けました。
1989(平成元)年、外務大臣表彰、防衛庁長官表彰、文化功労者として表彰を受けました。
1991(平成3)年に『茶経と我が国茶道の歴史的意義』の論文で中国国務院学位委員会の審査試問を経て、
南開大学より外国人初の「哲学博士号」を授与されました。
1994(平成6)年、勲二等旭日重光章を受章しました。
1995(平成7)年、国際交流基金賞を受賞しました。
1997(平成9)年、茶道界として初の文化勲章を受章しました。
2002(平成14)年、長男・宗之に家督を譲って、大宗匠「千玄室」と改名しました。
「玄室」とは裏千家4代仙叟宗室の襲名前の名で、
裏千家12代又玅斎宗室も家督を譲って隠居してからは「玄室」を名乗りました。
中華人民共和国文化交流貢献賞を受賞しました。
2005(平成17)年、外務省より日本・国連親善大使の称号を受けました。
国際ロータリー栄誉賞を受賞しました。
社団法人茶道裏千家淡交会理事、財団法人国際茶道文化協会名誉顧問、国際ロータリー日本財団会長、
財団法人日本国際連合協会会長、財団法人京都市国際交流協会理事、財団法人平安建都1200年記念協会会長、
京都市生涯学習総合センター所長、財団法人生涯学習かめおか財団理事、社団法人日本馬術連盟会長、
国連機関沖縄誘致推進センター顧問、日本青年会議所会頭、国際青年会議所副会頭、中央教育審議会委員、
国語審議会委員、社会教育審議会委員、大学審議会委員、京都府公案委員会委員、日本オリンピック委員会評議員、
宝塚造形芸術大学大学院教授、中国芸術研究院芸術顧問、京都学園大学名誉教授、
中国・天津商業大学裏千家茶道短期大学学長、中国・南開大学東方芸術学部顧問教授、
ハワイ大学歴史学部教授、モスクワ大学名誉教授等の要職を歴任しました。
世界の多くの大学で日本文化・茶道の講座を開設して学術交流に貢献した事から、
ハワイ大学人文学名誉学位文学博士号、マウントホリヨーク大学名誉法学博士号(アメリカ)、
シートンホール大学名誉文学博士号(アメリカ)、サンマルコス国立大学名誉博士号(ペルー)、
フェデリーコ・ビアレアール国立大学名誉博士号(ペルー)、翰林大学名誉医学博士号(韓国)、
ブリティッシュ・コロンビア大学名誉文学博士号(カナダ)、同志社大学名誉文化博士号、
国土舘大学名誉博士号、立命館アジア太平洋大学名誉博士号等、
内外の大学より名誉学位を授与されました。
海外でも茶道文化による国際文化交流・親善に寄与した功労で、
芸術文化勲章コマンドール(フランス)、レジオン・ドヌール勲章オフィシエ(フランス)、
ドイツ連邦共和国一等功労十字章、獅子勲章コマンダー一等章(フィンランド)、
サンフランシスコ科学芸術功労章(ブラジル)、クルゼイド・ド・スル勲章(ブラジル)、
グラン・オフィシャル勲章(ペルー)、勲三等白象章(タイ)、ディレクナポーン勲章(タイ)等、
各国より多数の勲章を受章しました。
又、京都市名誉市民、小松市名誉市民、世界の都市の名誉州民・市民となっています。
茶道界のトップリーダーとして文化の継承に貢献するだけでなく、
国際的な広い視野で「一碗からピースフルネス」という茶道を通じた平和理念を提唱し、
茶道文化の発展と世界平和の希求に向けた活動を展開しています。