宮川香斎

Kosai Miyagawa

 宮川家は伝統ある京焼の名門です。
祖は貞享年間(1684~88)に近江国坂田郡宮川村から京都に出て、
知恩院門前に居を構えた宮川小兵衛政一(祐閑)で、
長男・治兵衛政重(祐翁)が五条坂に茶碗屋治兵衛家を興して末裔が「宮川香斎」を名乗りました。
次男・長兵衛は末裔が神奈川県横浜市で一世を風靡した宮川香山の系統です。

初代 宮川香斎 1823(文政6)年~1865(慶応元)年

 初代宮川香斎は治兵衛春房の長男として生まれました。
号を香斎・赤鯶・十水五石・治平(隠居後)といいます。
京都守護職・松平容保候の前で轆轤を披露し、「十水五石」の印を拝領しました。
嘉永年間(1848~54)頃に「香斎」を名乗りました。

2代 宮川香斎 1846(弘化3)年~1922(大正11)年

 2代宮川香斎は初代宮川香斎の養子です。
本名を熊二郎、号を香斎、善翁、治兵衛(隠居後)といいます。
真葛ヶ原に開窯していた宮川長造に師事して寅之助(初代宮川香山)達と窯に従事しました。
1911(明治44)年に西本願寺の親鸞聖人六百五十年大遠忌で、
同寺寺宝の一文字呉器写茶碗の御用命を賜りました。
1913(大正2)年、長男・周造に家督を譲って隠居し、「治兵衛」を名乗りました。

3代 宮川香斎 1894(明治27)年~1919(大正8)年

 3代宮川香斎は2代宮川香斎の長男として生まれました。
本名を周造、号を香斎・光誉といいます。
1913(大正2)年、3代宮川香斎を襲名しました。

4代 宮川香斎(初代 真葛香斎) 1897(明治30)年~1987(昭和62)年

 4代宮川香斎は2代宮川香斎の次男として生まれました。
本名を金吾、号を香斎・永誉・治平(隠居後)といいます。
1909(明治42)年、京都徒弟伝習所轆轤科に入所し、卒業後は家業に従事しました。
1915(大正4)年頃、北大路魯山人が作陶の手ほどきを受けに陶房を訪れました。
1919(大正8)年、4代宮川香斎を襲名しました。
1929(昭和4)年、久田家11代無適斎宗也に入門して本格的に茶道具の制作に専念します。
1934(昭和9)年、無適斎宗也より「真葛焼」の箱書を授かって「真葛香斎」を名乗りました。
1972(昭和47)年、婿養子・三喜重に家督を譲って隠居し、「治平」を名乗りました。

5代 宮川香斎(2代 真葛香斎) 1922(大正11)年~2016(平成28)年

 5代宮川香斎は東京に生まれました。
旧姓を杉本三喜重、号を香斎・治平(隠居後)といいます。
1946(昭和21)年、4代宮川香斎の長女と結婚して宮川家に入籍しました。
1972(昭和47)年、5代宮川香斎を襲名しました。
表千家13代即中斎宗左より「真葛」の印を授かりました。
2002(平成14)年、養子・和男に家督を譲って隠居し、「治平」を名乗りました。
久田家11代無適斎宗也の逝去後は12代尋牛斎宗也に指導を仰いで茶陶を制作しました。

6代 宮川香斎(3代 真葛香斎) 1944(昭和19)年生

 6代宮川香斎は5代宮川香斎の養子です。
旧姓を池田和男、号を香斎といいます。
1970(昭和45)年、東京造形大学美術学部彫刻専攻を卒業しました。
1976(昭和51)年、5代宮川香斎の長女と結婚して宮川家に入籍しました。
2002(平成14)年、6代宮川香斎を襲名しました。
大徳寺僧堂龍翔寺嶺雲室・高田明浦老師より「真葛」の印を授かりました。