清水七兵衛

Shichibei Kiyomizu

初代 清水七兵衛

 清水七兵衛は2代清水六兵衛の長男として京都に生まれました。
弟に3代清水六兵衛を譲り、
本家から窯を譲り受けて五条橋東(現:東山区)で海老屋七兵衛と名乗って作陶しました。
1843(天保14)年に越後国長岡藩10代藩主・牧野忠雅の命で父が長岡に「御山焼」を開窯し、
1844(天保15)年には七兵衛が職人と共に赴いて職方を務めました。
雲錦手や楽茶碗等を焼成し、
七角印「清」、草書印「七兵衛」等を用いました。

2代 清水七兵衛 1845(弘化2)年~1918(大正7)年

 2代清水七兵衛は初代清水七兵衛の子として生まれました。
内国勧業博覧会で褒状、
1878(明治11)年にパリ万国博覧会で名誉賞杯を受賞しました。

3代 清水七兵衛

4代 清水七兵衛

 4代清水七兵衛は号を信翠といいます。
1943(昭和18)年、作品を宮内省と大蔵省に献上しました。
陶磁器工芸技術保存作家として京都作家13人の中に入りました。
七角印「清」等を用いています。