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 天平堂

細川護光

Morimitsu Hosokawa

細川護光

Morimitsu Hosokawa

「泰勝寺跡」として知られる細川家立田別邸を訪ねたのは、桜の花が例年よりも10日ほど早く盛りを迎えた、3月下旬の晴れた日だった。泰勝寺は肥後国熊本藩初代藩主・細川忠利公が、1636(寛永14)年に建立して以降、明治初年の神仏分離令まで細川家の菩提寺であった。境内には細川家の祖である細川藤孝(幽斎)公とその妻・光寿院の廟所、そして、細川忠興(三斎)公とその妻・ガラシャの廟所が祀られており、合わせて「四つ御廟」と称されている。

又、泰勝寺跡に隣接する立田自然公園に建つ「仰松軒」は忠興公が残した図面を元に、1923(大正12)年に建てられた茶室である。前庭に配された手水鉢は忠興公が京都で使用していたもので、茶の師・千利休も使用したと伝えられる。

歴史の重みを感じずにはいられない泰勝寺跡に居を構え、作陶に励む細川護光さんは、いずれ父・細川護煕氏の跡を継いで、細川家19代当主となる人物だ。日本有数の名家に生まれ、伝統を引き継ぐ事に重責を感じるのではないかとも思うが、細川家立田別邸でお目にかかった護光さんは、なんの衒いも感じさせず、静かな空気を纏っていた。

ここ数年、護光さんが楽しんで造っているという手捻りの樂茶碗。鈍い光沢を放つ「黒樂」と、淡いピンクを基調に深みのある表情を見せる「赤樂」。いずれも手に取ると、ほんのり土のぬくもりと柔らかさが伝わってくる。

「手捻りの面白さとは、どこにあるのでしょうか」、そんな問いを護光さんに投げ掛けると「轆轤とは違って、一つ一つに時間を掛けられるところが面白い」と返ってきた。特に黒茶碗は一椀ずつ窯に入れて焼くので、更に手間隙が掛かるのだが、その手間隙さえも楽しんでいるようだ。「樂焼は柔らかく、他の焼き物に比べて脆い。でも、柔らかいから熱の伝わり方がゆっくりなんですよ。それが抹茶を美味しくするという利点もある。硬くしちゃうと茶碗としての良さが失われてしまうので、そこが難しいところでもあるんですよね」と護光さんは語り、造形についても「最初からこうしようと思って造っているわけではなく、今までに見た物や手に取った物が意識の中になんとなく残っていて、それが元になっているのだと思います。手を動かしていると、いつの間にかできているという感じですね」と説明して頂く。頭に浮かんだイメージを追い求めるのではなく、記憶の中に潜んでいる「かたち」を、無意識の内にその手が探り当て再現する。細川家が培った「記憶」が護光さんの手を動かしているのかもしれない。そんな考えが、ふと頭をよぎる。

以前から自然に囲まれた環境で仕事がしたいと考えていた護光さんは、父・護煕氏が所有していた土地を譲り受け、2007(平成19)年に南阿蘇村久木野に開窯した。2016年の熊本地震の際には、窯が潰れてしまったが、有田から窯の職人に来てもらい修復したそうだ。

雑木林を背に建つ窯には、明らかに泰勝寺跡とは違う空気が流れている。その作品に漂う、ある種の大らかさと落ち着きは、大自然を五感で感じられる創作環境がもたらすのだろう。

そう言えば、護光さんの師は、三重県伊賀の里山に「土楽窯」を構える福森雅武氏だった。自然の恵みを作品に映し出す作風は師匠譲りかもしれない。「師は器は見るだけではなく、使う物という考え方で、そこには非常に大きな影響を受けました」と語り、護光さんもご自身の器を食事に用いる。時には料理研究家である妻の亜衣さんからアドバイスを貰う事もあるという。料理を盛り付ける器は、ただ美しければ良いという訳ではない。日常使いの物であれば、扱いやすくなければならない。「見た目も扱いやすさに含まれていると思いますよ」と護光さん。考えてみれば、食器の最大の使命は料理を引き立てる事だ。形と扱いやすさを切り離すこと自体が意味を成さない。護光さんのさりげない一言には、師である福森雅武氏の哲学が息づいていた。

物を造る仕事がしたかった、デスクワークではなく体を動かす仕事がしたかった。そんな動機で始めた作陶も、今年で16年目を数える。「今でも窯を開ける前は胸が高まる。でも、窯を開けたら9割9分の確率でガッカリします」、原土にこだわっている為、ままならない事も多い。ブレンドした土を使えば、より安定するのだが「より工業製品に近付いていく」。それよりも個性が明確に顕れる原土を使う事に、護光さんは面白みを感じている。

形を造って焼き上がるまでの長いタイムスパンを楽しむ。作品一つ一つに掛かる手間隙を楽しむ。材料となる原土に左右され、思い通りにならない事を楽しむ。焦らず、急がず、力まず、風に揺れる梢のように作陶に向き合う。だから、護光さんの作品からは凛とした品格と共に自然体の軽やかさのようなものが感じられる。

「自分の作品を手元に置きたいとかは思わない。造る上で試した事の結果が分かったら、自分の中では完結するので」、自身の作品に対する思い入れを聞くと、こんな答えが返ってきた。「むしろ次の事、次にどうしようかという事を考えています。こういう仕事には到達点はない。やればやるほど、先に道が伸びていく」

護光さんの視線の先には常に「未来」がある。だから、細川家の伝統的な美意識や文化的なDNAを受け継ぎながらも、それに縛られる事はない。その作陶は自由で、そして、しなやかだ。

細川護光

Morimitsu Hosokawa

1972(昭和47)年生

東京都で生まれ、熊本市で幼少期を過ごす。

1999(平成11)年
三重県伊賀市の「土楽窯」7代福森雅武氏に師事。

2006(平成18)年
熊本市「泰勝寺跡」にて開窯。

2007(平成19)年
熊本県南阿蘇村久木野にも築窯。

2008(平成20)年
京都にて初個展。以降、全国各地で個展を開催。

樂、信楽、高麗等を手掛け、永青文庫の理事も務める。

Photography:江藤徹・今林崇
Text:長谷川和芳

作陶への道

Q初めて作陶したのは高校生の頃と伺いました。
A一番最初に作陶したのは高校生の時の美術クラスみたいな場でした。その時は別に作陶を仕事にしようと思っていた訳ではありません。
Qそれがどうして作陶の道へ。
Aそれは、自分で造る仕事がしたいな。というのと、いわゆるデスクワークで机の前でじっとしているよりも、身体を動かす仕事がしたかったので。
Q白洲次郎・正子ご夫妻とも交流があったそうですね。
A次郎さんに会った事はあるのだろうけど、私が幼い頃だったので、記憶にありません。正子さんとは最晩年に、時々お会いして。後は1年程、鶴川の武相荘に下宿していた事もありました。
Q白洲正子さんの美意識から影響を受けた事は。
Aすごく影響を受けました。正子さんは骨董がお好きで、日常生活の中でそういった物を使われていました。勉強になりましたし、そのおかげで私自身も骨董を見るようになりましたね。
Qその後、伊賀の福森雅武氏に師事する事になりますが、福森氏を師に選んだのはなぜですか。
Aそれは、まぁ、私が高校生の時からよく知っているという事もあったし、非常に自分が尊敬している方だったので。そこで勉強させてもらいたい。と思いました。
Q福森氏はどんな方ですか。
A大らかな方で、よく飲む人です(笑)。
Q福森氏からはどんな事を学びましたか。
A福森さんは器は見るだけではなく、使う物という考え方で、そこには非常に大きな影響を受けました。

4つの窯での創作

Qご自分の窯を開く時に、熊本を選んだ理由は。
A以前から、いつか熊本で仕事をできたら。と考えていたので。こういう事は田舎じゃないと。東京では勿論できません。
Q場所によって造る物も変わってきますか。
Aそうですね、それはあるでしょうね。材料とかも変わりますし、自分の気持ちの持ちようの変化も大きいです。特に阿蘇の窯は自然に近いので落ち着きますね。
Q阿蘇の窯ではどういったものを焼いているのですか。
A例えば、今日だと焼き締めの物が多いですね。釉薬物だと、いわゆる灰釉ですね。樫灰とか藁灰を使った灰の釉薬。後は粉引もちょっと入っていますね。
Q泰勝寺跡の窯ではどのような物を焼かれていますか。
A小さい電気窯しかないので、粉引位かな、あそこで焼いているのは。基本的に素焼き専用の窯なので。あそこで素焼きした物をここに持ってきて焼く事もあります。
Qお父様の護煕氏がいらっしゃる湯河原の「不東庵」でも焼かれていますね。
A熊本、湯河原以外だと長野に穴窯があって、そこにも年に2回は火を入れています。井戸系は湯河原、樂も湯河原。信楽は長野の窯です。

陶芸家としての足跡

Q熊本で開窯して早16年。作風は変わりましたか。
A変わってきたと思います。釉薬や土が変わってくると、それによって焼き方も変わってきますよね。やっぱり土が一番重要かな。土から考えてこういう風に焼いていこうと決める事が多いですね。その土に相応しい焼き方や形があります。
Q土はどうやって入手しているのですか。
A色々と好みを聞いてくれる土の業者さんを何軒か知っているので、そういう所から原土を仕入れています。原土ではなく、ブレンドされた土を使うと、平均化され、より工業製品に近付いてくる気がします。原土の良さは、それぞれ土によって個性が現れてくる事ですね。
Q熊本の土も使いますか。
A以前は、熊本のあちこちへ自分で出向いて掘っていました。地質図を買ってきて当たりを付けたり。後は古窯跡。昔に窯があったと思われる辺りを調べるのです。その土地の郷土資料館等に行くと、昔、この辺りに窯がありましたとか、瓦を焼いていましたとか、そういう古窯跡の話がどんどん出てくる。そんな話を古い地図と照合して、その辺りに行って掘ってみたり。それはよくやっていました。今は自分で掘ることは少なくなりましたね。
Qここ数年、手捻りに凝っているそうですね。どこに面白さがあるのでしょう。
A轆轤とは違った造り方で、一つ一つに時間を掛けられるというのが、今面白いと思っているところですね。
Q黒樂と赤樂では、焼く際に違いがあるのですか。
A焼き方の問題なんですけど、黒の方は一碗ずつ窯に入れて焼いていますので、その分手間暇が掛かるという事ですね。一度に沢山は焼けません。
Q手捻りということは、細川さんが一つ一つ手で形造る訳ですが、その手触りや形について大事にしている事はありますか。
A最初からこうしようと思って造っている訳ではありません。今までに見た物や手に取った物が意識の中になんとなく残っていて、それが元になっているのだと思います。手を動かしていると、いつの間にかできているという感じですね。

未来へ向けた眼差し

Q器が焼き上がって、窯を開ける瞬間はどのようなお気持ちですか。
A窯を開ける前は、もうなんて言うのかなぁ。夢が膨らんでいる状態というか、こう楽しみにしている状態なんですけど、実際に窯の蓋を開けると、9割9分の確率でガッカリしますね。その中で満足いく作品がいくつかは残るという感じです。
Q「うまくいかなかった」というのは、自分が求めるレベルに至らなかったという事でしょうか。
Aそうですね。まぁ、材料が思っていたような焼き上がりにならない事もありますし。この仕事は、楽しい事もあるし、そうじゃない事もある。苦労も多いですね。
Qご自身でお気に入りの作品はありますか。
A私の場合、作品が出来上がったら、あまり振り返らない。次はどうしようかという考えで頭がいっぱいになります。だから、自分の作品を手元に置きたいとも思わない。造る上で試した事の結果が分かったら、自分の中では完結するので。
Q経験値を高める事が大事なんですね。
Aそうですね。焼き物ってすぐに結果が出るものじゃない。轆轤の上で形を造ってから焼き上がるまでのタイムスパンがすごく長い。時間を掛けて焼き上げ、その結果を見て、次どうしようかって考えて、また造って、その結果を見て、また次っていう風になっていく。こういう仕事には到達点はない。やればやるほど、先に道が延びていきます。