五雲亭貞秀の西国内海名所一覧 古美術天平堂

西国内海名所一覧(五雲亭貞秀)

西国内海名所一覧 五雲亭貞秀

(豊前国小倉の城下町の様子)
(縦)35cm×(横)145cm
版元 : 正文堂清七

五雲亭貞秀(歌川貞秀)によって描かれた豊前国小倉の城下町の様子です。
貞秀は地理に強い関心を持った浮世絵師として知られています。
日本各地の町の様子を鳥観した大作の一覧図は貞秀の得意分野であり、
1868(明治元)年の絵師番付では錦絵の部で一位になる程の好評を博したとされています。

五雲亭貞秀(歌川貞秀) 1807(文化4)年〜1879(明治12)年頃

五雲亭貞秀(歌川貞秀)は下総国(現:千葉県)東葛飾に生まれました。
本名を橋本兼次郎、号を五雲亭・玉蘭斎・玉雲斎といいます。
3代歌川豊国(歌川国貞)に師事し、幕末から明治初期に大きな足跡を残しました。

長崎街道を始めとする九州五街道の起点 「常盤橋(小倉)」

常盤橋は江戸初期頃に小倉の城下町の東曲輪(主に町人が生活していた地域)と、
西曲輪(主に武士が生活していた地域)を結ぶ重要な橋として架設され、
当初は大橋と呼ばれていましたが、
1692(元禄5)年に橋を架け替えた時に「常盤橋」としました。
この橋の西勢溜(橋詰)が長崎街道を始めとした九州の五街道の起点となっていた為、
周辺の京町、船頭町、宝町、室町には九州の諸大名が参勤交代で宿泊する本陣や、
商人・旅人の宿場等が建ち並んで城下は活況を呈していました。
長崎街道、唐津街道、中津街道、秋月街道、門司往還は「小倉の五街道」ともいわれ、
小倉は九州の要地として人、物、情報が行き交う大きな宿場町でもありました。
常盤橋の左岸北側には港があり、ここから船で関門海峡を渡りました。
このように海と陸の玄関口として常盤橋は九州における日本橋となっていました。
伊能忠敬は実測による正確な日本地図を作製する偉業を成し遂げた事で知られますが、
九州では常盤橋から測量の第一歩が開始されました。
又、ドイツ人医師・シーボルトは常盤橋を銅版画にて紹介しています。
現在の常盤橋は治水対策として川幅を広げる為、
橋の架け替えが必要になったのを機に1995(平成7)年に江戸時代の橋を再現したもので、
コンクリートと同じ強度を持つ木材が用いられ、江戸時代の姿木の橋として蘇りました。
常盤橋を渡って室町方面に歩いていくと静かな佇まいの軒並みが続き、
長崎街道の面影を感じ取る事ができます。
常盤橋は私方の店舗から徒歩約5分の地に位置し、
現在では周辺に小倉井筒屋やリバーウォーク等の大型商業施設が建ち並んでいます。

常盤橋(小倉)

西洋の文化や物資を江戸へと伝えた 「長崎街道」

長崎街道とは小倉から長崎まで57里(約228km)の道程を25宿で結ぶ脇街道です。
徳川幕府は鎖国令を出して外国との門戸を閉ざし、
僅かに長崎・出島においてオランダ、中国とのみ貿易を行いました。
こうして江戸と長崎の往来が増えると長崎街道は主要な街道として注目を受けました。
参勤交代の諸大名、長崎奉行、オランダ商館等の行列が往来し、
西洋の文化や物資が長崎から江戸へと流れていく幹線道路となりました。
当時としては大変な希少品であった砂糖が運ばれた事から、
「シュガーロード(砂糖街道)」とも呼ばれています。

長崎街道

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