後期伊万里の買取 古美術天平堂

後期・幕末

肥前年表(江戸後期・幕末)

国内向けに転じた江戸後期・幕末の伊万里焼

伊万里焼は海外交易の他にも諸国諸領内に幅広く伝播して需要に応えました。
豪商や商家の調度品が蒔絵を始めとした漆器のみでなく、
伊万里焼で賄われるといった需要反応を示したからです。
1757(宝暦7)年にV.O.C(オランダ東インド会社)との公式的な磁器取引が終了して、
江戸後期に入ると伊万里焼は装飾性豊かな高級美術品というよりも、
一般調度品(食器)としての比重が加わり出し、
町衆を始めとした中級層においても徐々に浸透していきます。
当時は分業体制も整備されており、
国内向けの量産時代に入る事は必然的な生産現象でした。
その結果、成形もやや粗雑になって厳しい格調を欠きました。
更に1828(文政11)年8月の台風で有田は大火に見舞われて殆どを焼失し、
生産体制や品質は著しく落ち込んで、
他の窯業地に移住する職人や転職者までも出ました。
瀬戸や美濃を中心とした各地で磁器生産が急速に発展した問題も重なり、
内外両面から致命的な打撃を受けた厳しい時期でした。
1841(天保12)年には活性化を図る為に鍋島藩主から許可を得て、
有田の豪商・久富与次兵衛がオランダ貿易を再開しました。
又、幕末という新しい息吹の中で庶民の生活や文化は活気を帯び、
神社仏閣の春秋祭礼、縁日、冠婚葬祭は盛り上がりを見せました。
特に祭りでの酒盛りや振舞いは大変派手であったと伝えられています。
祭りは大勢庶民の集まり故に酒肴を盛る大皿を必要とした事で、
大皿の注文生産が全国規模で増加しました。
土佐(現:高知県)を代表する郷土料理・皿鉢料理はその典型的な例です。
このような日用品を中心とした後期・幕末における伊万里焼の中でも、
異国情緒溢れる蘭人、相撲力士、東海道五十三次、日本地図を題材とした特殊な作品は、
面白みある図案構成から高い評価を受けています。

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