古伊万里の買取 古美術天平堂

古伊万里

    • 古伊万里 No1.
    • 古伊万里御所車美人文髭皿
    • 江戸中期
    • ¥500,000
    • 古伊万里 No2.
    • 献上古伊万里鳳凰文鉢
    • 江戸中期
    • ¥300,000
    • 古伊万里 No3.
    • 献上古伊万里団龍文鉢
    • 江戸中期
    • ¥500,000
    • 古伊万里 No4.
    • 古伊万里山水文六角皿
    • 江戸中期
    • ¥50,000
    • 古伊万里 No5.
    • 古伊万里和蘭風景文皿
    • 江戸中期
    • ¥180,000
    • 古伊万里 No6.
    • 古伊万里色絵唐花文碗(5客)
    • 江戸中期
    • ¥200,000
    • 古伊万里 No7.
    • 古伊万里鳳凰文皿
    • 江戸中期
    • ¥80,000

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肥前年表(古伊万里)

異国趣味をかきたてる優麗華美な装飾磁器 「古伊万里」

古伊万里とは江戸中期に肥前有田で焼成された磁器です。
型物に代表される国内向けの作品も知られていますが、
異国趣味をかきたてる様々な品種の輸出作品を主体としていました。
景徳鎮磁器に代わって有田磁器が世界市場を確保すると、
品質の高い作品を量産できるよう熟練した職人による分業体制が確立されました。
染付に色絵と金彩を多用して絢爛の限りを尽くした「金襴手」は古伊万里の主体を成し、
元禄年間(1688〜1704)の繁栄を示すが如く優麗華美な世界を展開しました。
元来は明時代後期の嘉靖年間(1522〜66)に景徳鎮民窯が完成させた装飾技法として知られ、
金箔を貼って焼き付けるという華麗な精作です。
王侯貴族間では宮殿室内を磁器で装飾する「磁器の間:porcelain room」が、
権力や富の象徴として流行しました。
欧州に齎された磁器は棚や壁に飾る美術品であると共に接客用の室内調度品でもある為、
使用によって色絵や金彩が擦れた作品も多く見られます。
「オールド・イマリ」、「オールド・ジャパン」、「イマリヤキ」という呼称は、
現在も国内外の愛陶家・蒐集家に交わされる肥前磁器の愛称です。

V.O.C(オランダ東インド会社)との華やかな輸出産業時代

東インド会社とは17世紀に欧州諸国が東洋貿易の為に設立した特許会社で、
イギリスは1600年、オランダは1602年、フランスは1604年に設立されました。
V.O.C(Verenigde Oostindische Compagnie)の頭文字を合わせたモノグラムは社章であり、
会社所属を示す為に倉庫、貨幣、大砲、旗、陶磁器等に入れられました。
同社は本来の目的である香辛料の他に、
欧州で生産する事ができなかった磁器に価値を見出して中国貿易を行いました。
中国から輸入される磁器は「白い金(White Gold)」と呼ばれ、
金に匹敵する価値のある貴重品として取引されました。
贅沢品で所有者のシンボルともいえる膨大な量の磁器が欧州へ齎されると、
その美しさは欧州人に深い感銘を与えて磁器焼造を促す要因ともなります。
しかし、1640年代の明・清王朝交代に伴う内乱や海外貿易の制限政策を起因とし、
景徳鎮窯を始めとした磁器窯が乱調になって買い付けが殆ど不可能になった結果、
安定期に入っていた日本磁器が注目され始めます。
1653(承応2)年に日本はV.O.C(オランダ東インド会社)と伊万里焼の輸出契約を結び、
1659(万治2)年に約56,700個という大量注文を受け、
日本にも華やかな輸出産業時代が訪れる事になりました。
近世の胎動がようやく治まって新しい幕藩体制が整い始める中、
伊万里焼は鍋島藩の殖産品として国際市場で脚光を浴びる事になりました。
発注の際に見本(中国磁器)を示された結果、
初期の輸出磁器には芙蓉手等を始めとする明時代末期の中国磁器を写した物が多いです。
V.O.Cの大量注文によって肥前有田では著しい技術進歩を遂げ、
窯の規模も拡大された事で大型の沈香壷も数多く焼成できるようになりました。
輸出された磁器の形状は多種多様で100種類以上にも及び、
伊万里焼があれ程の繁栄を迎える事ができたのは明らかにV.O.Cによる貿易恩恵です。
1684(貞享元)年に清王朝が遷界令を解除して中国磁器の輸出が再開されると、
1712(正徳2)年頃から活況を呈し、
中国磁器は再び市場での支配的地位を回復していきます。
こうして質と量と低価格の市場競争で伊万里焼は敗れました。
1710年(宝永7)年に欧州初となる磁器窯・マイセンが設立された事も要因の一つとして、
アジアからの磁器輸出は次第に減少の一途を辿ります。
1757(宝暦7)年には僅か300個を最後に公式的な日本の磁器取引が終了し、
以後は商館私貿易に委ねられました。

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