中里太郎右衛門・中里無庵・中里逢庵・中里重利の買取 古美術天平堂

中里家

初代 中里又七 生没年不詳

初代中里又七は肥前国唐津藩の御用焼物師の陶家です。
1720(享保5)年に5代中里喜平次が記した古文書(中里家蔵)によれば、
同じ高麗人の矢作や彦右衛門達と文禄年間(1592〜96)に伊万里市に田代窯を開窯した後、
大川原窯に移って岸岳直系の古唐津を焼成しました。
又七達が唐津藩主・寺沢志摩守広高の御用窯に任ぜられたのは1615(元和元)年とされ、
椎ノ峰窯へ移って寺澤氏の御用焼物師を務めました。

2代 中里太郎右衛門 生没年不詳

3代 中里甚右衛門 生年不詳〜1703(元禄16)年

4代 中里太郎右衛門 生年不詳〜1744(延享元)年

5代 中里喜平次 1691(元禄4)年〜1757(宝暦7)年

6代 中里太郎右衛門 生年不詳〜1786(天明6)年

7代 中里陶司 生年不詳〜1823(文政6)年

8代 中里尚徳 生年不詳〜1827(文政10)年

9代 中里太郎右衛門 生年不詳〜1872(明治5)年

10代 中里一陶 生年不詳〜1879(明治12)年

11代 中里太郎右衛門 1854(安政元)年〜1924(大正13)年

12代 中里太郎右衛門(無庵) 1895(明治28)年〜1985(昭和60)年

12代中里太郎右衛門は11代中里太郎右衛門の次男として佐賀県に生まれました。
本名を重雄、号を無庵といいます。
1914(大正3)年、佐賀県立有田工業学校別科を修了しました。
1927(昭和2)年、12代中里太郎右衛門を襲名しました。
1929(昭和4)年から古唐津古窯跡の発掘調査を行い、成形や焼成技法の研究を重ねました。
1941(昭和16)年、商工省より技術保存作家に指定されました。
1955(昭和30)年、文化財保護委員会より無形文化財として選択を受けました。
1957(昭和32)年、日本工芸会九州支部支部長代理に就任しました。
清宮貴子内親王殿下に御来窯御台臨を賜りました。
日ソ国交回復記念日本美術工芸展の出品作品がソ連文化省に買い上げられました。
1959(昭和34)年、秩父宮妃殿下に御来窯御台臨を賜りました。
日本伝統工芸展の出品作品が政府に買い上げられて国立近代美術館に陳列されました。
1961(昭和36)年、天皇・皇后両陛下が行啓の際に佐賀県献上の叩き青唐津壷を制作しました。
1962(昭和37)年、高松宮妃殿下に御来窯御台臨を賜りました。
1966(昭和41)年、唐津市より市政功労者として表彰を受けました。
佐賀県知事より県政功労者として表彰を受けました。
紫綬褒章を受章しました。
1967(昭和42)年、日本伝統工芸展の出品作品が文化庁に買い上げられました。
1969(昭和44)年、唐津青井戸茶碗が文化庁に買い上げられました。
勲四等瑞宝章を受章しました。
京都・大徳寺本山で得度し、
大徳寺512世浩明宗然より法名「洞翁宗白」、号「無庵」を授かりました。
1970(昭和45)年、大阪万国博覧会迎賓館に白磁壷が飾られました。
西日本文化賞を受賞しました。
1972(昭和47)年、三笠宮寛仁親王殿下、三笠宮百合子妃殿下に御来窯御台臨を賜りました。
1976(昭和51)年、重要無形文化財「唐津焼」の保持者(人間国宝)に認定されました。
1985(昭和60)年、勲四等旭日小綬章を受章しました。
桃山時代の素朴で力強い作風に魅了され、
御茶碗窯の伝承的技法である献上唐津に代わって古唐津陶技を復興させました。
今日における唐津焼の隆盛は氏の功績によるところが多く、
日本陶磁上の歴史にも名を残した唐津焼の第一人者です。
   

13代 中里太郎右衛門(逢庵) 1923(大正12)年〜2009(平成21)年

13代中里太郎右衛門は12代中里太郎右衛門(無庵)の長男として佐賀県に生まれました。
本名を忠夫、号を逢庵といいます。
1943(昭和18)年、東京高等工芸学校(現:千葉大学工学部)工芸図案科を卒業しました。
1946(昭和21)年、父と弟・中里重利と協力して御茶碗窯を再開しました。
加藤土師萌が古窯調査の為に唐津に訪れ、古唐津陶技復元の指導を受けました。
1948(昭和23)年、東京都綜合工芸展で褒賞を受賞しました。
1956(昭和31)年、日展で北斗賞を受賞しました。
1957(昭和32)年、日ソ国交回復記念日本美術工芸展の九州地方審査員に就任しました。
日展の出品作品がソ連文化省に買い上げられました。
1958(昭和33)年、日展で特選を受賞しました。
1961(昭和36)年、日本陶磁協会賞を受賞しました。
現代工芸美術家協会会員となりました。
1963(昭和38)年、現代工芸美術家協会九州部会設立により副会長に就任しました。
1964(昭和39)年、日本現代工芸美術展審査員に就任しました。
日本現代工芸美術展の出品作品が外務省に買い上げられて在外公館に陳列されました。
1965(昭和40)年、現代工芸美術家協会評議員に就任しました。
日本工芸美術展の出品作品が外務省に買い上げられて在外公館に陳列されました。
1966(昭和41)年、日本現代工芸美術展審査員、日展審査員に就任しました。
1967(昭和42)年、日展会員となりました。
現代工芸美術家協会九州会会長に就任しました。
1968(昭和43)年、佐賀大学教育学部講師に就任しました。
日展の出品作品が文部省に買い上げられて京都国立近代美術館に陳列されました。
1969(昭和44)年、13代中里太郎右衛門を襲名しました。
1970(昭和45)年、日展の出品作品が外務省に買い上げられました。
日展審査員に就任しました。
1973(昭和48)年、日本現代工芸美術展審査員に就任しました。
1974(昭和49)年、現代工芸美術家協会常務理事に就任しました。
1975(昭和50)年、日展審査員に就任しました。
1976(昭和51)年、日本現代工芸美術十五周年記念展審査員、日展評議員に就任しました。
現代工芸美術家協会常務理事に再任しました。
1977(昭和52)年、日本現代工芸美術展審査員に就任しました。
1978(昭和53)年、日本新工芸家連盟創立会員となり、全連盟総務委員に就任しました。
1979(昭和54)年、創立日本新工芸展審査員、日展審査員に就任しました。
1980(昭和55)年、日本新工芸展審査員に就任しました。
1981(昭和56)年、内閣総理大臣賞を受賞しました。
日本新工芸展審査員、日展評議員に就任しました。
1982(昭和57)年、日本新工芸家連盟理事、日本新工芸展審査員に就任しました。
1983(昭和58)年、日本新工芸展審査員に就任しました。
1984(昭和59)年、日本芸術院賞を受賞しました。
1985(昭和60)年、日展理事に就任しました。
1989(平成元)年、日展参事に就任しました。
1992(平成4)年、佐賀県重要無形文化財に認定されました。
日展審査員に就任しました。
1995(平成7)年、唐津市市政功労賞を受賞しました。
1997(平成9)年、紺綬褒章を受章しました。
1999(平成11)年、紺綬褒章を受章しました。
2000(平成12)年、日工会会長に就任しました。
2002(平成14)年に京都・大徳寺本山で得度し、
大徳寺520世雪底宗潭より安名「吟風宗松」、菴號「逢庵」を授かりました。
2004(平成16)年、京都造形芸術大学より博士(学術)号を授与されました。
2007(平成19)年、日本芸術院会員となりました。
2008(平成20)年、旭日中綬章を受章しました。
古唐津の伝統的技法を踏まえながら、
ハンネラ、辰砂、翡翠釉を始めとした新知の技法を採り入れて独自の作風を創出しました。
 

14代 中里太郎右衛門 1957(昭和32)年生

14代中里太郎右衛門は13代中里太郎右衛門の長男として佐賀県に生まれました。
本名を忠寛といいます。
1979(昭和54)年、武蔵野美術大学造形学部彫刻学科を卒業しました。
1981(昭和56)年、武蔵野美術大学大学院を卒業しました。
1983(昭和58)年、多治見陶磁器意匠研究所釉薬科を修了しました。
国立名古屋工業技術試験所釉薬科を修了しました。
13代中里太郎右衛門陶房にて作陶を始めました。
1990(平成2)年、日本工匠会(日工会)創立会員となりました。
日展で特選を受賞しました。
佐賀県展で県知事賞・永竹威賞を受賞しました。
1991(平成3)年、日工会評議員に就任しました。
佐賀新聞社文化奨励賞を受賞しました。
1992(平成4)年、日工会展で日工会会員賞を受賞しました。
佐賀県陶芸協会会員となりました。
2000(平成12)年、佐賀銀行文化財団新人賞を受賞しました。
アジア工芸展で文部大臣賞を受賞しました。
2001(平成13)年、国際陶芸アカデミー(I・A・C)会員となりました。
2002(平成14)年、14代中里太郎右衛門を襲名しました。
2006(平成18)年、佐賀県陶芸協会理事に就任しました。
2007(平成19)年、日本工芸会正会員となりました。
2010(平成22)年、佐賀県陶芸協会副会長に就任しました。
2011(平成23)年、唐津市政功労者表彰を受けました。
紺綬褒章を受章しました。
中国古典に基づいた「掻き落とし」に加え、
叩き、朝鮮唐津、粉引等の作風を展開しており、
井戸茶碗には特に強い拘りを持って取り組んでいます。
唐津焼のリーダーとして後進育成や地域文化貢献にも尽力しています。
   

中里重利 1930(昭和5)年〜2015(平成27)年

中里重利は12代中里太郎右衛門(無庵)の三男として佐賀県に生まれました。
1944(昭和19)年より父に師事して作陶に従事しました。
1956(昭和31)年、現代日本陶芸展で松坂屋賞を受賞しました。
1964(昭和39)年にオリンピック協賛日展の入選作品が外務省に買い上げられ、
在外公館に陳列されました。
1965(昭和40)年、日展で「三玄壷」が特選北斗賞を受賞しました。
1966(昭和41)年、日展無鑑査となりました。
日展の出品作品が外務省に買い上げられて在外公館に陳列されました。
1967(昭和42)年、日展委嘱となりました。
1969(昭和44)年、日本現代工芸美術展無鑑査となりました。
現代工芸美術家協会会員、日展委嘱となりました。
1970(昭和45)年、日展委嘱となりました。
1971(昭和46)年、日本現代工芸美術展審査員に就任しました。
1973(昭和48)年、唐津市神田山口に築窯して独立しました。
1975(昭和50)年、日本現代工芸美術展で会員賞と文部大臣賞を受賞しました。
1976(昭和51)年、日展審査員に就任しました。
窯名を「三玄窯」としました。
三玄窯とは自身の作品である三玄壷(橙、赤、黒の三色を施した叩き壷)に由来しており、
三玄とは「天・地・人」のもと「土・技・炎」の三位一体を表現しています。
1977(昭和52)年、日展会員となりました。
現代工芸美術家協会評議員に就任しました。
1980(昭和55)年、日本新工芸展で会員賞と楠部賞を受賞しました。
中日国際陶芸展審査員に就任しました。
1981(昭和56)年、九州・山口陶芸展審査員に就任しました。
1982(昭和57)年、日展審査員に就任しました。
1985(昭和60)年、佐賀県芸術文化功労賞を受賞しました。
日展審査員に就任しました。
1986(昭和61)年、日展評議員に就任しました。
1993(平成5)年、佐賀県教育委員会より表彰を受けました。
1996(平成8)年、県政功労賞を受賞しました。
2002(平成14)年、地域文化功労者表彰(文部科学大臣表彰)を受けました。
熟練された轆轤技術には定評があり、
伝統的な古唐津の茶陶を基本に瀟洒で洗練された完成度の高い作陶を展開し、
唐津焼の重鎮として高い評価を受けています。
叩きの技法を駆使した壷を得意としました。
 

中里隆 1937(昭和12)年生

中里隆は12代中里太郎右衛門の五男として佐賀県に生まれました。
1961(昭和36)年、現代日本陶芸展で第一席を受賞しました。
1966(昭和41)年、西部工芸展で日本工芸会賞を受賞しました。
1967(昭和42)年、アメリカ・オハイオ州ウェズリアン大学の講師に就任しました。
1971(昭和46)年に小山冨士夫の勧めで種子島へ渡島し、
鹿児島県西之表市古園に築窯して種子島焼を始めました。
1974(昭和49)年、帰郷して佐賀県唐津市見借に築窯しました。
小山冨士夫より「隆太窯」と命名されました。
1985(昭和60)年、現代陶芸選抜展賞を受賞しました。
優れた技術と質朴で味わい深い作風は高い人気を裏付けており、
南蛮唐津や唐津南蛮と呼ばれる作品は豪快奔放にして男性的な焼き締めです。
 

中里嘉孝 1958(昭和33)年生

中里嘉孝は中里重利の長男として佐賀県に生まれました。
1976(昭和51)年、佐賀県立有田工業窯業科を卒業後、父に師事しました。
1980(昭和55)年、宮川香斎に師事しました。
1984(昭和59)年、佐賀県教育委員会賞を受賞しました。
1985(昭和60)年、佐賀県議会議長賞を受賞しました。
1986(昭和61)年、佐賀県陶磁工業協同組合賞を受賞しました。
1987(昭和62)年、唐津市千々賀に千々窯を築窯しました。

<中里家の作品紹介>

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