エミール・ガレの買取 古美術天平堂

エミール・ガレ

シャルル・マルタン・エミール・ガレ 1846年〜1904年

エミール・ガレは高級陶器とガラス器の製造販売会社を営む家庭に生まれました。
アール・ヌーヴォーを代表するガラス工芸・陶器・家具のアートディレクターです。
1858年にナンシー帝国リセ(高等中学校)に入学し、
修辞学、文学、哲学、植物学、歴史学に優れた成績を修めました。
1865年にドイツのヴァイマルに留学して文学、哲学、植物学、鉱山学を学び、
建築と装飾美術について勉学を修めました。
1866年からマイゼンタールのビュルグン・シュヴェーラー社の、
ガラス工場でガラス製造の技術を習得しました。
1868年にナンシーの父の工場で絵付けを担当しますが、
1870年にプロシアとフランスの間に普仏戦争が始まると義勇軍に志願して入隊しました。
1871年のフランクフルト条約をもって敗北に終わり、
ガレの故郷であるアルザス・ロレーヌ地方は一部ドイツ領に割譲され、
ガラス製造の委託先の一つであったマイゼンタールの工場はドイツ領となりました。
父とイギリスを訪問し、
現在のヴィクトリア・アンド・アルバード美術館を見学して古代ガラスに魅了され、
パリ、イタリア、スイスの美術館や植物園で見開を広めました。
1877年、父に代わって工場管理責任者に就任しました。
1878年にパリ万国博覧会に独自に開発した月光色ガラスや陶器を出品して銅賞を受賞し、
庭園装飾の為の陶器で銀賞を受賞しました。
1884年、装飾美術中央連盟主催の「石木土そしてガラス」展で金賞を受賞しました。
1885年にナンシー水利森林学校留学中の農商務省官僚・高島得三と交流を持ち、
日本文物や植物等の知識を得たといわれます。
水墨画を得意とする高島はナンシーで400点程の作品を描き、
ガレも高島から2点の絵画を譲渡されました。
こうした交流が契機となって、
1887年頃に水墨画的なぼかし表現を伴う黒褐色のガラスを生み出しました。
1886年、ナンシーの自宅近辺に建設した家具工房で製造を開始しました。
1889年のパリ万国博覧会に大量の作品を出品し、
ガラス部門でグランプリ、陶器部門で金メダル、家具部門で銀賞を受賞し、
装飾工芸家として国際的な評価を確立しました。
1894年、家具工場が建つ敷地を買い増して、ガラス製造工場を完成させました。
1898年、「マルケトリ技法」、「パチネ素材」で特許を取得しました。
1900年、パリ万国博覧会に大量のガラスや家具を出品してグランプリを受賞しました。
1901年、「エコール・ド・ナンシー」(ナンシー派)の会長に就任しました。
1903年、パリのルーブル宮マルサン館で開催されたナンシー派展に出品しました。
1904年、白血病によって逝去しました。
その後の工房は画家・ヴィクトール・プルーヴェと夫人のアンリエットによって経営を続け、
製造品目はエッチングによるカメオ彫りの製品が大半を占めました。
1914年〜1918年の第一次世界大戦中に一時製造を中止し、
1918年には娘婿のポール・ペルドリーゼによって製造を再開しましたが、
1931年にガレ商会は解散して工場の敷地は売却されました。
祖国を愛し、異国に憧れ、命ある自然を紐解いて自身の心情を重ね合わせ、
植物学者でもあったガレの作品は様々な植物のモチーフで溢れており、
植物に対する深い関心は田園や森林をこよなく愛した母の影響を受けています。

<エミール・ガレの作品紹介>

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