御本茶碗(釜山窯)の買取 古美術天平堂

御本茶碗

時代 17世紀
釜山窯
状態・詳細 完品
口径 13.1×12.5cm
高さ 7.9cm
底径 5.5cm
備考 銘:『郭公』
商品番号 a2475
価格 ¥500,000
在庫:
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古美術 天平堂
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枯淡な風格と品位に満ちた御本茶碗の逸品です。
随所に美しい御本(淡紅色の斑文)が現れ、
割高台や高台削りに他の追随を許さぬ個性が感じられます。
よく使い込まれた味わい深い様相からも大切に伝世されてきた様子が窺えます。













日本の茶人による注文品 「御本茶碗」

文禄・慶長の役(1592〜1598)後に途絶えていた朝鮮との国交は1609(慶長14)年に回復し、
釜山に倭館(朝鮮が日本使節の接待・貿易管理の為に建てた客館)が再設されました。
国交が回復して間もなく、
日本から朝鮮には高麗茶碗の注文が行われていたようです。
御所丸、金海、彫三島等の茶碗が注文されたのもこの時期と推測されています。
1639(寛永16)年には倭館に釜山窯(倭館窯)が開窯されました。
釜山窯は日本と朝鮮の外交を担っていた対馬藩が運営を務めましたが、
その焼成は年間を通じて継続的に行われたものではなく、
1718(享保3)年の閉窯に至るまで断続的に窯を開いて生産されました。
陶土や燃料等は朝鮮に申し出て購入し、地元の陶工を公的に申し入れて雇いました。
対馬藩は開窯ごとに船橋玄悦、中庭茂三、松村弥平太等の陶工頭を釜山に派遣し、
朝鮮陶工に指示して注文通りの茶道具を焼成させました。
製品は幕府、大名、茶人等の要求に応じて焼成され、
それらは対馬藩からの贈答品とされた事が伝えられています。
日本に伝存する作品は茶碗が多く、
高麗茶碗の一種として「御本茶碗」と呼ばれています。
それらは日本から朝鮮に御手本(切型)を示して発注した注文茶碗として知られており、
中でも声価が高い玄悦、茂三、弥平太等は何れも釜山窯に携わった対馬藩士の名前ですが、
長く実態が不明であった事から茶碗の種類名称として捉えられるようになりました。
焼成されたものは必ずしも茶碗に限らず、細かな調度品までに至ったとされています。
又、御本(鹿子)とは淡紅色の斑文が肌の随所に現れた状態も指し、
茶の緑色を引き立てる事から大変喜ばれています。
朝鮮政府にとって陶土や燃料等の供給は多大の負担で次第に交渉を厄介視していきます。
釜山窯では陶土や燃料等の集荷が困難になり始め、
供給が絶たれる事で1718(享保3)年に閉窯となりました。
釜山窯の閉鎖後、その特徴は対州(対馬)焼の各窯に引き継がれました。

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